ゴミ箱(もえない)

ごくまれに何か書いたり書かなかったりするかもしれたりしれなかったりする

日本縦断をしました - その4(静岡→大曲)

惰性と本能の日本縦断、つづいてました

前のはこれ↓

 

またちょっと間隔が空いてしまった…。これは決してサボっていたわけではなく、PCでチマチマと書き溜めていたぶんの更新ボタンを押し忘れて全削除の憂き目に遭っていたりしたため。1万字くらいゴソっと消えたので流石にちょっと萎えた。普段GoogleドキュメントとかOneDrive保存のWordとかでしか文章を生産しようとしないせいで、手動保存の所作に一向に慣れない。はてなブログリアルタイム保存機能はよ

 

愚痴はこの程度にして、日本縦断3日目、進めていこうと思います_____

 

 

12/24 日本縦断3日目

静岡→大曲

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おはよう、朝5時、静岡駅です。

 

いやはや短い睡眠時間からの始発を連日でこなすのは堪えますね。静岡に辿り着いた先でまさかの条例敗北を喫し、半ばヤケのジャンクフード天皇誕生会(?)を終えてようやく床に就いたのがだいたい午前1時半。そこから始発に乗るために起床したのが午前4時を回ったあたりだから、まともに3時間も寝ていない。おまけに下関でも西大山でもこんな真似を繰り返していたせいで、そろそろ起床がつらい。電車内である程度睡眠を摂れるとはいえ、これではあまりにも不規則。肉体的な疲労の蓄積に乗じて、精神の安定度がゴリゴリ失われる音がする。

更に言えばこれは12月、太平洋岸と言えども朝方の冷え込みがかなり本格化する時期。旅する僕らのお布団への恋心について、もうとやかく言う必要はないでしょう。寝過ごしだけはしまいと何重にもセットされた3人の目覚ましが鳴り響く宿の部屋で、僕らの活動開始に要する起動時間は、この辺りで既にかなり長くなっていた。

 

しかし我々には崇高な目的がある。稚内に向かうのだ。こんなところでおふとんに負けているようでは日本を鈍行で駆け抜けんとする18きっぱーの名が廃る…!蓄積する疲労につい心折れやさしく暖かい羽毛布団に潜り込もうとする自らの体に鞭打ち、重いカバンに今日もぶっきーを乗せて、東京方面への始発へと乗り込む。3日目、開幕_______。

 

 

5時2分静岡発、沼津行きの東海道線へと乗車。

さすが東海道線、しかも首都圏のかなり近くだ。始発が早い。まだ真っ暗な静岡を走り抜けるロングシートの車両は既にバラバラと人が居て、つくづく日本の朝の早さを思う。そして早朝の通勤通学路線の乗客のほとんどがそうであるように、僕らも大きなカバンを股に挟んで爆睡をかましていた。睡眠、ほんと大事。

 

そんな感じで特に言及することもないので、ここで3日目の行程について軽く触れようと思います。

12月24日、世間はクリスマスイヴの雰囲気に浮ついているけれど、僕らにとっては修羅のような日本縦断のうちの1日に過ぎない。九州から西日本と東海を抜け一気に首都圏近郊まで来た僕らは、この日からいよいよ本格的な北上を開始する。まずは東海道本線から東北本線に至り、東日本を定石通り着実に上っていくことになる。

じゃあ山陽本線東海道本線のように東北本線脳死で乗り続ければいいのかと言えば、そんなことはない。陸中陸奥まで来ると、かつて鹿児島本線で出会ったトラップに再来することになる。第三セクターIGRいわて銀河鉄道青い森鉄道だ。東北本線のうち盛岡から八戸までを制圧するこの2つにより、肥薩線のごとく「裏ルート」での迂回をまたも強いられることになる。

そしてここでの裏ルートがJR奥羽本線東北本線奥羽山脈を挟んで太平洋側(三陸側)の諸都市を結ぶ路線であれば、奥羽本線日本海側の路線となる。そしてこの路線の途中に位置するのが秋田県大曲駅、3日目のゴールである。つまり東京から東北本線を乗り継ぎ、東北の背骨を越えて奥羽本線で北上するのがこの日の行程、ということである。

 

 

5:56、沼津到着。辺りはまだ暗い中、本日最初の乗換えである。

 

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駅名標の下に写る電車の、行先表示がお分かりだろうか。「東京経由 宇都宮」確かにコイツはそう示している。宇都宮…!上野東京ラインという東洋のとある文明の革命的産物は、どうやら我々をこの東海の端っこから東北の入り口たる北関東の中心都市まで一本で運搬するつもりらしい。まさしく感動的である。関東の新快速って呼んでいいんじゃないのコイツ。阪神という同じ国ではありつつも馴染みのない土地でのワープも確かに一定の感慨のあるものだったけれど、自分のよく見知った土地でこういうダイナミックな移動が起ころうとしているとそのスケールに圧倒されざるを得ない。

でもやはり最も心に来たのは、この車両のフォルムだろう。二階建てグリーン車付きの緑とオレンジのデザイン、JR東日本の15両編成の電車は、東京近郊で暮らす僕らが日常的によく目にする東海道線のそれと同一の姿だ。

九州からひたすら鈍行に乗り、そこに住む人々にとってそれが恐らく日常であろう風景を(ほんの一部に過ぎないとはいえ)多少なりとも垣間見るような形でここまで来ていた僕らであったが、ここへ来て突然に「自分の日常」そのものを強烈に意識させるものが現れたことは、強い安心感であると同時に眩暈のような感覚をももたらした。ターミナル駅を山手線や京浜東北線と並走するその格好のまま、「東京」の文字を引っ提げてここ沼津まで来ているその様子は、さながら僕らを迎えに来たかのような錯覚すら覚える。これに乗ればそのまま家まで帰れてしまうんじゃないか、そんな気すらする。まあ宇都宮まで行くんですけど。あとついでに稚内まで行くんですけど。

 

 

そんな訳で6:05、上野東京ライン宇都宮行きに乗車。

熱海から神奈川は根府川に至るトンネルとオーシャンビューの移り変わりが、次第に昇りゆく太陽のあたたかな光に徐々にその色彩感を強めていく、その朝の官能的なまでの美の世界が近代的なフォルムの車内のセミクロスシートの1つにも彩りを運んでくる中で、僕らはやっぱり爆睡していた。

列車は小田原を過ぎ、平塚に藤沢、大船と聞き馴染みのある駅名をどんどん通過していく。帰って来たのだなという実感と共に、東京に向けて一気に混雑を増す車内から駅メモも忘れて眺める。

 

僕のホームタウンもあっさりと通過する。

 この時ほどマジで「なんで稚内に行くのか」を考えたタイミングはなかった。帰りたい。いやね、めっちゃ簡単なんですよ。ここで降りて、在来線を乗り継ぐだけ。首から大事に提げた18きっぷを今ここで破り捨て改札の外に出てしまえば、もうそこは普段の日常である。

車内は通勤通学客でかなり混み合う。皆一様に仏頂面をし目を合わせんとするその「都会人」としての見慣れた表象が、もはや羨望の対象にすらなる。ここまで自身の日常に接近しておいて、またとんでもない非日常に突入していくんだから愉快なものだ。アウェーから完全ホームへの入り口がすぐそこにあるのに、どうしてまた稚内とかいう完全アウェーへと放り出されに行くのか。しかも手段は18きっぷである。何がしたくてこんな修羅みたいな旅程をぶっ立てたのかいよいよもって理解できなくなってきた。稚内、どこ………????

 

列車は都内に至る。さすがの大都会だ。ここまでいくつもの都市を通過しその基幹駅を越えてきたわけだけど、首都圏の中心はやはり街の規模が違う。ビルが途切れない。一つ一つが大きめの都市のターミナルになるような巨大駅をいくつも縫うように通過していく。東アジア随一の人口密集地は伊達ではない。

途中で知り合いが乗り合わせてきて差し入れを頂いたり労いの言葉を頂戴したりしつつ、列車は上野東京ラインを北上していく。

 

 その時間も束の間、列車はあっという間に埼玉県内に突入する。浦和を越え大宮を越えれば、一気に周辺の建物が低くなっていく。

とうとう本格的な北上の開始である。ここまで太平洋岸の温暖な都市圏を北へ東へと抜けてきたが、ここから先はそうはいかない。とうとう、12月の北日本との戦いが幕を開けるのである。雪どころか氷点下すら聞かなかったこれまでと違い、本日後半から駆け抜けんとするのは真冬の東北地方日本海側だ。気候の厳しさに加えて列車の本数も減り、これまで以上にデッドラインの意識と臨機応変な行程が重要さを増す。そうして本州を抜ければ、いよいよ試される大地、北海道へと至るのである。天運を祈る3人組を乗せ、都会的な15両編成は北関東をひた走る。

 

 

10:22、宇都宮駅に到着。

 

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ちょっと早いがここで昼食を摂る。まあ宇都宮で食べるものったら一つしかないでしょ。

 

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名物宇都宮ギョーザですね。ニンニクの香りに肉々しさが程よくマッチし最高にご飯がすすむ。いいね、うまい。

朝ごはんを食べず前日の夕飯も怪しかったところにこの人権はうれしい。思えばその前の人権はたこ飯、その前はフグである。美味しいものを食べるのはいいのですが、よくよく思い返せばあまりにも不規則。ちなみに載せていない食事については、ほとんど食べていないに等しい。人権と絶食のスパンが乱高下すぎる。いいのかこんなんで…?

 

 

11:18、東北本線黒磯行きに乗車。

首都圏近郊路線はこの宇都宮で終わり、ここからは列車の本数もガクッと減る。

 

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こういう車両がお出迎えする(これ自体は黒磯で撮影)。それっぽくなってきた。黒磯からさらに12時55分発新白河行きに乗り換え、一路北上していく。

宇都宮辺りまでは寒いとは言えどまだ南関東と大差なかったのが、黒磯からはさらにもう一段寒さが加速している感じがあった。空気が明らかに違う。痛い。北海道はこんなもんじゃないぞと自らを奮い立たせ、列車を乗り継いでいく。

 

新白河の一つ手前、白坂駅にて、とうとうこれと出会う。

 

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お判りでしょうか。よくよく見てもらうと画面にちらちら白いものが写っているのが確認できると思う。だ。

特に積もるようなものでもない単なる粉雪だけれど、来るところまで来てしまったという確かな感慨があった。この駅からは福島県、東北地方の入り口である。これから東北を抜けて北海道にかけ三日三晩飽きるほど雪を見ることになる、その最初がここだった。平然と座る地元の皆さんの横で、3人で勝手に興奮していた覚えがある。

 

 

13:19、新白河駅に到着。この辺りは一本当たりの運行距離がやたら短く乗り換えが多いわりに接続があまり良くない。お土産屋などで時間を潰す。

 

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ここ新白河駅ではちょっと面白いものが見られた。

 

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かずきくんの隣に映るこの車止め、実はホームど真ん中の位置に線路を真っ二つに分割するような形で置かれている。こういう配置の理由の詳細は省くとして、このせいでちょっとホーム分割が愉快なことになる。

 

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うーんこの。1つのホームを車止めの存在で強引に分割し、2つの番線がありますよと平然と言い張っている。中々にインパクトがでかい。こういう案内表示をしてでも分断していくスタイル、嫌いじゃない。こんなものを面白がっていたら次の列車が来た。

 

 

13:57、郡山駅行きに乗る。またも距離の短い列車だ。

 車内は意外なほど混雑しており、またも座れなかった。3人で最後尾から車窓を眺めつつ郡山に向かう。

 

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 そのまま寝入るT氏

 

 そして14時37分、郡山に到着。今度はすぐに福島駅行きに乗車。気温が一段と下がってくる。

 

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さて、ちょっと唐突になってしまうが、ここでこの先のルートについての話をしようと思います。

このまま東北本線に乗り続けるわけにはいかず、奥羽本線に向かわなければならないことについては前述したとおり。ここで問題になってくるのが「どこで奥羽山脈を越えるか」である。ルートが、複数あるのだ。

まず最初に、次の福島駅からそのまま奥羽本線へと向かう方法。これは単純に奥羽本線を全線乗りとおすルートとなる。福島から米沢を抜けてそのまま北上していく。最も本数が多く、盤石な行き方ではある。デッドラインの面からも1本分余裕のある行程であり、なるべくなら採用したい。

次に、仙台まで東北本線で北上するルート。この場合は仙台から仙山線で山形へと抜けることになる。そこからは奥羽本線に合流し北上する。

また、さらに北上して岩手県まで向かい、北上から北上線で奥羽越えをすることも可能には可能であった。この場合は秋田県の横手に接続し、そこから大曲までは目と鼻の先である。

このようにいくつかのルートを採ることが可能な中で、最も懸念されるのが雪による運休であった。折しもこのとき東北地方には低気圧が接近しており、日本海側はいつ雪が降ろうともおかしくない状況。奥羽山脈を越えていく路線のどこが運転見合わせを起こしても、何ら不思議ではない。そしてそれがたまたま採ろうとするルートと重なれば、この日のうちに米沢に辿り着く手段を失う可能性もある。どれを選択しても「絶対に大丈夫」という保証はない。気象情報とにらめっこしつつ、盤石な奥羽本線ルートを採るか仙山線北上線ルートを採るか臨機応変に決定する必要があった。

 

 

15時40分、福島駅。

 

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ともかくも運行情報を訊きに行く。出来ればここから奥羽本線に乗って米沢から山形、そして新庄方面へと抜けていきたい。そう伝えると「今のところ運休等の情報は無いが、全く大丈夫とは言えない」というニュアンスの返事が。うーん…行きましょう!奥羽本線で米沢方面へ!

この時の僕らは実際ほとんどクリスマス気分だった。この日は12月24日、世間的にはまさしくクリスマスイヴ。無事にホテルに到着したら盛大にクリスマスパーティーをやろう、そう決めてクラッカーやらを購入する始末。何事もなく大曲に到着できる、全員がさしたる根拠もなくそう信じていた。

 

 

16:04発、福島発米沢行きへと乗車する。ここから全線にわたりお世話になる奥羽本線、その最初の列車だ。そしてこれは、結果的に最悪の選択だった_____。

 

 

 そんなことは知る由もない一行を乗せた列車は、もうそろそろ夕暮れに差し掛かろうかという福島盆地を西へ抜けていく。

 

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いい感じに旅の風情という気分になってくる。宇都宮から福島までは混雑する列車の乗り継ぎの連続で大して寛げもしなかったため、こうして米沢まで豊かな車窓を眺めながらのんびりと感傷に浸れるのは非常にありがたかった。ほどなくして列車は山間部へと至る。いよいよ奥羽越えだ。

 

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ほどなくしてこういう風景が訪れる。雪だ。エモい。段々と薄暗くなる夕暮れの中、遠くの山肌まで枯れ木に白が覆いかぶさるそれは、雪舟水墨画を思わせた。これが新白河だかで粉雪を見てはしゃいでいた僕らを嘲笑うかのように続く。おわかりでしょう、都会人は積雪を見るだけで興奮するのである。そしてこれこそが、稚内に至るまで延々と続く雪との闘い、その第一歩なのであった。

カワイイ

 

途中の峠という駅で銘菓を購入する。峠の力餅だ。

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これがちょっと面白い。峠駅の停車時間はそもそも非常に短く乗客が降りて買いに行くような余裕はないため、駅のホームの売り子さんが窓から直接売ってくれるのである。せっかくなのでまた撮影会が開催される。

 

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kawaii kiwameteru

 

 

いやあ最高ですね。東北奥羽の雪にはけっこう警戒していたのだけど、ここまでエモーショナルだとは思っていなかった。山肌を縫うように走る車両は風情のかたまりであり、そしてぶっきーはかわいい。

ここからはまず米沢で17時29分発山形行きへと乗車し、山形で18時58分新庄行き、新庄で20時14分秋田行きへと乗り継げば勝手に大曲に辿り着けるはずだ。もしそれを逃しても、同様に20時21分山形発、21時37分新庄発と乗り継ぐことができれば最終列車とはなるが大曲に至れる。

心配だった奥羽越えもどうやら無事に済みそうだしこれでひとまず本日は安泰でしょう、大曲に着いたら盛大にクリスマスパーティーでもしましょう、そんな思考でいた。それがフラグであるとは思いもせずに_______。

 

 

 

 

 

山肌が低くなり、平地に近づくのがわかる。車内放送が入る。時刻はだいたい17時前。のんびり降りる用意をガサゴソと始めながら、軽く聞き流す。

「まもなく終点、米沢、米沢です。……なおこの先の奥羽本線ですが、赤湯~中川間で発生した信号機トラブルによりまして、米沢から山形で運転を見合わせ……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ha?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はい。

 

頭が真っ白になるとは、まさにこういう状況を言うのだと思う。

米沢から山形までが不通になっている、この状況が指し示す事実は単純明快であるにもかかわらず、それを飲み込むにはなお、列車を降りて騒然とした米沢駅構内を見回す、その時間を必要とした____________大曲に、辿り着けない。

 

 

 なんて、こった。

 

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米沢駅は既に、復旧を待つ人々でごった返していた。

新幹線停車駅に似合わずこじんまりとした構内には慌ただしく行き来する駅員さんに情報を求める人々が群がる。さながら難民キャンプの様相を呈した待合室の騒然とした光景は、もの静かにしんしんと雪の降り積もる駅前ロータリーと妙なコントラストを示していた。難民キャンプの群れに加わる形で、待合室のイスに腰を下ろす。

 

前述の通り、大曲に到着する最終列車は新庄駅を21:37に出発する。これに乗るためには、遅くとも山形駅を20:21に出る列車に乗らなければならない。山形以北は平常運転している状況下、次に米沢を出るはずの列車がこの最終に接続しなければ、行程はいよいよ崩壊する。本来予定していた接続は、もう既にないものと見てよかった。最終接続までに奥羽本線が復活するかどうか、それが全てだ。

そしてこの運転見合わせがいつまで続くのか、それは誰にも分からなかった。

 

 

同じフレーズをどこかで用いた気がする。完全に、油断していた。

確かにとうとう豪雪地帯に突入し運転見合わせのリスクを考えてはいたけれど、そこで目にした雪景色の美しさは僕らの警戒心を解くのには十分だった。幾つかのルートの中で盤石であろう奥羽本線を選択し、事実それはさっきまで何事も無いかのように米沢まで僕らを運んでくれていたはずである。クリスマス気分に浮かれ雪国を満喫する気でいた僕らを地獄に叩き落とすには、あまりに見事でありあまりに急だった。鹿児島といい今回といい、行程崩壊への入り口には何の前兆も存在しないのである。

 

 

これ冗談じゃなく新庄辺りに泊まるしかなくなるやつでは…?とりあえず目下の危機感をそこへつぎ込む努力をする。ここまで順調に来れたお陰もあって行程には多少の余裕が設けられていたため、そうなっても最悪リカバリーは可能だった。ただそうなった場合必然的に今後の行程の限界度が増すため、避けたい事案とは言えた。あと純粋にホテル代がつらい。途中駅に宿を取る準備をしつつも大曲への希望は捨てずに行こう、というのが必然的に基本方針となる。

 

いずれにせよこのタイミングでの最悪のアクシデントを前に正常な判断もへったくれもあったものではなかった。待っていると暇になる。暇になると人間は食えるものを探す。そういや峠の力餅あんじゃん。食う。

 うまい。いやうまい。疲れた体に甘味が浸透し、全身を駆け巡ってゆく。使い果たされた精神的なエネルギーが、多少なりとも補充されるのを感じる。鹿児島で食したかるかんを思い出す。出来ればこれもトラブルから抜け出した状態で食べたかったです_____。

 

 

もう既に一切の代替手段は無かった。今から福島に戻り別ルートを採ることは時間的に不可能である。山形新幹線奥羽本線の線路を利用して運行されているため、ここで運転見合わせが発生したとなれば当然のごとくストップしている。鹿児島の時のように苦肉の第三セクターについて云々言っている場合ではなかった。僕らに残された選択は今度こそ、「ただ待つ」それだけだ。

 

 ピンポイントすぎる運転見合わせ区間もまた、僕らの「どうして」を加速させた。

 止まっているのは米沢~山形。つまり先述した仙山線北上線ルートを使用していれば、何の問題もなく大曲に辿り着けたはずである。こういうときの常套句ではあるが「よりによって…」と言わざるを得なかった。福島駅で運転見合わせのリスクについて散々勘案していた自分たちが余りにアホみたいに思えてくる。18きっぱーに人権無し。どうあがこうと結局は、僕らの運命はJRの手中にあるのだ。

 

 

状況に変化のないまま時間だけが経つ。本来乗るはずだった列車の発車時刻はとうに過ぎた。この分だと復活したのちに至るまで、ダイヤが乱れまくって山形に着く見込みの立たないことは必至だろう。最終接続に間に合わない可能性が現実味を帯びてくる。迫る行程崩壊に、そろそろ焦ってくる頃だった。本格的にやばい、そんな空気感が次第に強まる。

 

とにかく、疲れていた。

思えば九州の南端から東北地方のど真ん中まで、3日間延々と鉄路を乗り継ぎやってきている。始発は当たり前、不規則な食事に睡眠リズム、満足に休めない鈍行の硬いシートは、体力はおろか精神的なそれを容赦なく削っていた。その疲労感が、ここへ来て一気に噴出する。出来ることも少なく、ただ待合室のイスにぐったりと座っているしかない。

世間はクリスマスイヴ。浮世の雰囲気につられてどことなく浮ついていた僕らに、容赦なく襲い掛かってきたのがこの運転見合わせだった。年に一度の聖夜を迎えようかというこの夕暮れに、男子高校生3人組は東北の地方駅で缶詰を食らう。本当に何の因果なのか。辛さを通り越して惨めにすらなる。「なぜ稚内に行くのか」いつもの問いを繰り返す余裕もなかった。どうしてクリスマスの夜に、列車の運転再開を雪降る米沢で待たなければならないのか_______それを考えるだけで、もう精一杯だった。

 

 

 

だいたい午後6時頃だったと思う。山形新幹線の運転が、ようやく再開する。

一刻も早い運転再開を望む僕らにとってこれは確かに吉報だったけれど、だからといって安心できるわけではなかった。このまま行けば、奥羽本線の運転再開も時間の問題だろう。だが、前述のデッドラインに間に合わなければ大曲は不可能になる。JRとしても、しばらくは優等列車である新幹線の回復を優先させるはずだ。その合間を縫うことになる奥羽本線の鈍行が、果たして20:21山形発に接続してくれるのか______これは全くもって、不透明と言ってよかった。

 

 

またしても暇になる。会話も尽きた待合室で、運転再開だけの報をひたすらに待ち続ける。設置されたテレビから聞こえるクリスマス特番の歌コーナーのにぎやかな声が部屋に響く。流れてくるのは、よりによってこの曲だった。「♪今、わたしの、ねがーいごとが、かなーうーなーらば、翼がほしい…」

ja.wikipedia.org

これには流石にキレた。翼がほしいのはこっちだわ!!!!こちとら鹿児島から地面這いつくばってやって来とんねんぞ???????ああそうでしょうね、鹿児島から稚内まで行くなら空の便をお使いになられるのが最も効率的でしょうね!!!!!それともあれか、その翼とやらで大曲まで運んで下さるのか?????いっぺんクリスマスイヴの米沢に閉じ込められてから同じセリフを吐いてみろと本当に叫びかけた。危ない危ない。限界旅行に託けて社会的地位を失うわけにはいかない。口に手を当て笑顔で「オホホ、出羽のお方の煽りは粋ですことね」と誤魔化しておいた。

 

進展のないまま、時間だけが経過する。米沢に到着してから、いつの間にか1時間半が経とうとしていた。焦りを募らせる僕らを嘲笑うかのように、外では苛つくほど静かに雪が降り積もっている。どのみち出来ることは無かった。奥羽本線の運転再開を、ただただ待ち続ける。

待合室の人混みはひどくなる一方だった。みんなどこかから来て、どこかに目的地があり、そうしてたまたまこの米沢の駅で立ち往生しているのだろう。その中に日本縦断を目論み鹿児島から来た挙句、大曲に辿り着こうとして踏ん張っている僕らのような人間をも含んでいることが、あらためて不思議に思われた。いずれにせよ間に合えば大曲、間に合わなければ新庄までのどこか。ただその事実を前に、淡々と構えているほかは無かったのである。

 

 

そして______18時半過ぎ、とうとう奥羽本線が運転再開に向けて動き出した。

待ちに待った奥羽本線山形行きが、ようやくホームにやってくる。

 

 

 本来なら既に山形に着いている時間。辺りは既に真っ暗だった。出羽の雪降る中を堂々と構えるこの列車が、事実上最後の命綱だ。これが山形で新庄行きに接続するかどうか、それで全てが決まる。車掌さんにその旨を念押しに行くも「何とも言えない」とのお返事を貰う。本当に、瀬戸際だった。

 

 

 列車はなかなか発車する気配を見せない。漏れ伝わってくるところによれば、この列車の前を走るはずの新幹線の発車を待って出発するようだった。しかしその新幹線も、乱れに乱れたダイヤの中ではいつ動き出すのかもわからない。ダメかもしれない______そんな考えが現実味を帯びてくる。

幾多のハプニングありつつ何だかんだ楽しく会話しつつ米沢まで来ていた3人だったけれど、米沢からの発車を待つこの車内に関しては、比喩でも何でもなく完全に無言だった。そろそろ精神的に限界が近かった。あるいは大曲までの接続が完全に絶望的であったならば、まだ建設的に動けたのかも知れない。しかし体力的にも良くない状況下で、この生命線たる列車がいつまでも米沢のホームに留まり続ける、その焦りといったらなかった。

どうすることも出来ず妹にLINEしてみたりする。

 

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いやお前マジか。

 

 

正直なところ、ちょっと心折れかけていた。

もう何もかもどうでもよくなりそうになる。自分が何故こんなことをしているのか分からなくなった。クリスマスだぞクリスマス、聖夜は家に帰ってゆっくりと祝うべきだろ。なぜ稚内に向かうために、こんな日までこんな苦労をしてるんだ。ただただ、疲れていた。耐えかねてTwitterを開けば、年に一度の行事に満更でもないTLが嫌でも目に付く。

惨めだった。世間が聖夜の雰囲気に浮かれているまさにそれと同時に、僕らは米沢のいつ発車するとも知れない車内で、疲労のために言葉もなくただ座っている。恐ろしいほど無力で、絶望的だ。そして投げやりだった。大曲に辿り着けるか着けないか、それすらどうでもいいようにすら思える。もうどうにでもなればいい、18きっぷごと破り捨てて帰ってやろうか、そんな考えすら浮かぶなか、ふと自分のカバンに目をやる。

 

ぶっきーがいた。

 

屈託のない笑顔だった。僕らの行程が崩壊するかどうか、その完全に瀬戸際のタイミングで、彼女はただこっちを見て楽しそうに笑っていた。

ハッとした。僕は一人ではない。

思い返せば、西大山の駅からずっと「4人」でここまで旅してきたのだった。その間幾つもの出来事があり、出会いがあればトラブルもあった。でも僕らは稚内を目指し、ただ目の前の線路に忠実に、一つ一つ列車を乗り継いできた。その実感があった。

そして今、大曲に辿り着けるかどこまでも不透明な状況を前にして、なすすべなく座りつくす3人がいる。しかしやることは一つだった。「行けるところまで行ってみましょうよ」_______そう言われている気がした。とにかく大曲を目指す。ダメならダメで、新庄に宿を取る手はずは整えていた。どのみち道は一つだ。これまで通り、目の前の鉄路に忠実に、漸進していくしかないのだ。

精神の緊張が肉体に回って疲労はピークに達しようとしていたけれど、ともかくも覚悟は決めた。もう弱気にはならない。僕は青春18きっぷで、ぶっきーを連れて真冬の稚内に辿り着く。そのために、今この列車に乗っている。それだけだ。

 

 

午後7時前。奥羽本線は、とうとう動き出した。

 山形で新庄行きに接続してくれるのか、この時点でもまだ不明だった。だが、ともかくもこれで先には進める。それは、先程までただ立ち止まって待つことしかできなかった僕らにとってみれば、確かな希望ではあった。余りに濃すぎる2時間を過ごした米沢の駅を離れ、列車はゆっくりと北上を始めた。

 

疲れと緊張とでどうにかなりそうだった。ガタゴトと周期的な振動だけが淡々と響く。窓の外を見れば、暗闇に雪だけが白く映えている。この車内だけが全てだ。全員が無言だった。列車がただそのレールの上を愚直にひた走る、その感覚が直に伝わってくるようだ。とにかく、信じるしかなかった。

 

 

 

 そして_______僕らの命運を分ける接続についての車内放送が、人も疎らな車内の静寂を裂くように唐突に舞い込んできたのは、発車からおよそ20分が経過しようかというところだったと思う。

 

本日はJR東日本をご利用いただきありがとうございます、赤湯中川間で発生した信号点検により列車に遅れが生じましたこと誠にお詫び申し上げます。決まり文句が読み上げられる中、緊張が一気に高まるのを感じる。

「なお、この列車での山形での接続ですが_______」言い回しは淡々としていた。接続すれば勝利、しなければそれまでだ。人生でこれほどまでに車内放送に集中することはもう2度とないかもしれない、そのくらいの緊張で、固唾を飲んで次の言葉を待つ。これはダメだったか_____そう思いかけたとき、言葉が続いた。

 

「山形で、20時21分発新庄行きに、接続いたします」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 山形に、着きました。

 

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正直に言って、この辺りはもうほとんど記憶がない。車内放送にガッツポーズをキメてから山形に到着するまでがすっ飛んでいる。起きていたか寝ていたかもあまり定かではないのは、駅メモのスクショが残っていないせいでもある。2日目の鬼のようなアクセスはどうしたんだお前。

ただ2時間近くに渡る緊張状態から解放されたことで、その分の疲労が一気に押し寄せてきていたことは確かだった。新庄行きを待つ山形駅改札内で、無言でぐったりしていたのだけは覚えている。精神的にも肉体的にもかなり参っていたように思う。かずきくんとは言えばこの状況下でも駅員室にて18きっぷにスタンプを貰いに行っていた。凄いなお前な。

 

待っているとT氏がこんなものを発見する。

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 この期に及んで煽ってくる気満々らしい。何が「どこまで」だ大曲に決まってんだろどうやら無事に辿り着けそうです本当にありがとうございます_______

 

 

満を持して、20:21発新庄行きに乗り込む。大曲への、正真正銘の最終接続列車だ。

 

 目の前に停車するまさにこの列車に乗るために、僕らは米沢で2時間缶詰になったのだ、そう思うと強い感慨と安堵があったのは言うまでもない。ついさっきまで米沢で暗澹たる顔持ちをしていたのが信じられない。大曲に辿り着ける、確実な希望があったのは確かである。とはいえここから大曲まで、1度乗換えを挟んで地味に結構な時間乗車しなければならない。よろしくお願いします、と乗車する。

 

 ほどなくして列車は動き出す。閑散とした車内に、淡々とした車内放送が響く。何事もなかったかのように、列車は新庄までの各駅を一つ一つ渡っていく。

率直なところ、ここは本当に全ての思考が停止していたように思う。このまま黙って列車に身を委ねていれば大曲に辿り着けることが保証される、この安堵はさっきまで米沢で胃をきりきりさせていた僕らには劇薬だった。押し寄せる強い疲労感に感情はまるで追い付かず、終始無言だった。どうにかなりそうだった。

 

 

1時間ほどの乗車の後、ようやく新庄駅に到着する。 

 

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秋田駅行きの最終列車は、もう既に控えていた。ここから秋田に至るその途中にあるのが大曲駅。正真正銘、この日最後の列車だ。

 

 

恐ろしいことには、ここへ来てまさかのロングシートだったことだ。さすがJR東日本さん、トラップの設置に抜かりがない。最後の最後まで僕らを苦しめてきやがる。思えば2日目のラストもロングシートである。なんだJRは18きっぱーに恨みでもあるのか。

とはいえ文句を言う筋合いも気力も無かった。これに乗って大曲に行く、それだけだ。

 

 大曲までおよそ1時間40分の乗車だった。前の列車の車掌さんが、この列車の車掌さんに労いの言葉をかけるのを見掛ける。後者は女性である。大曲を過ぎ最終的な秋田到着が0時を越えるような列車だったことを、ふと思い出す。こんなクリスマスの夜にまで、旅をする僕らや、その他大勢の人々を乗せて、夜更けまで鉄道の運行に従事する人々がいる______勝手に胸が熱くなったりする。そういう気分だった。

外の景色を眺める気力も無かった。次の駅のアナウンスだけが、僕らが大曲へと着実に近づいていることを教えてくれる。思えばこの日出発したのは静岡。随分と遠くまで来たものだ、とふっと感慨に浸ったりする。米沢ではどうなることかと思ったが、こうして最終列車にありつき、今日の目的地までもうあと少しだ。闇夜の黒と積雪の白だけが曖昧に映える雪国の夜を、列車は淡々と、しかし力強く走っていく。

 

 

 そして、とうとう_______定刻より少し遅れて23時25分、列車は大曲駅ホームにゆっくりと滑り込んだ。

 

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3日目、完________

 

 

 

総評。とにかく、長かった。

 

 御託はいいでしょう。米沢、それに尽きる。

思えば西大山から、多少のアクシデントありつつもほぼ行程の崩れることなく来ていた僕らにとって、初めての「もう駄目かもしれない」がここだった。10時過ぎに辿り着けるはずだった大曲は結局、11時を大きく回っての到着。それも最後の4時間はほとんど死んだような顔をしての雪中行軍である。改めて大曲に居るのが奇跡のように思える。のんきに宇都宮ギョーザを食べていたのが同じ日だとは、到底思えなかった。

それと同時に、これが「限界旅行」であることをもう一度想起させた。もしかしたらJRが、雪国とクリスマスに浮かれる僕らに下した洗礼のようなものがこれなのかも知れない。というかそうでないと説明がつかない。

いずれにせよ、まだ旅は折り返し地点。ここから北の大地を3日間に渡って走破していくことになる。始発終電コンボで失われた精神力を補い、気を引き締めて明日からの行程に備えるべく、1日の営業を終えた大曲の駅を後にした。

 

 

 

 

 

 

疲れで気が狂っていた+クリスマスだった+謎の達成感に包まれていた

=パーティーした 

 

 

 

続きます。たぶん。

日本縦断をしました - その3(下関→静岡)

たぎょうです。日本縦断、どんどんやってくよ

前のはこれ↓

 

ta-chi-tsu.hatenablog.jp

 

2日目、基本的にこの日は平和だった。特に大きいイベントとかアクシデントも無かったので一見楽だったように見える…が、地味にかなりの乗車時間を誇っていたのがこの日。単純に改札内に居た時間に加えて東海道山陽の恐ろしいまでの接続の良さにより、今思えばかなり体力を削られていたように思う。この状況が3日目に僕らを襲ったアレでも確実に響くことになる_____その話はその時に。まずはこの2日目の行程をお楽しみください。

 

 

 

12/23 日本縦断2日目

下関→静岡

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 朝5時の下関駅から、おはようございます。

 

この日、何を思ったか意味もなく午前4時起床を成功させてしまった僕らは、「海が見たい」というかずきくんの発案に同意する形で4時半の下関の街の散歩に繰り出していた。

早朝の、まだ動き始めていない街の姿というのは往々にして非常にエモーショナルだったりするのだけど、それは下関においても例外ではなかった。朝の研ぎ澄まされた感覚は静けさを余計にあおる。鼓動を始める前の交差点は人影も車通りも疎らであり、それが不規則に五感と呼応する。日中は人々の営みと喧騒のなかで息を潜めている街の影が生き物のように一つになり膨らみ、こちらにのしかかってくるような感覚がある。耳をすませば、呼吸が聞こえてくるようである。僕ら以外に人影のない駅前の歩道橋を歩きながら、そんなことを思う。

そのまま下関駅のコンコースに至ると、また独特の感覚が味わえた。日中と同じように照明が点灯し駅自体が動き出そうとしているにも拘らず、多くのシャッターは閉まり人影一つない。それは寂しさでもあり、同時に都市機能を保ったまま人間だけ失われたような奇妙さでもある。だがそれは嫌な感じではなく、むしろ普段は生活の中での「機能」としてしか認識していなかった都市の構造が、実体として目の前に現れた瞬間だったように感じる。そしてこうした感覚は、西大山を発ってからフグに至るまで持続的に興奮状態だった僕らの精神を和らげ、リフレッシュしてくれるには格好のものだった。

 

ともあれ、こうして5時過ぎ、僕らはこの日も18きっぷにスタンプを押してもらい、ホームに待機していた始発列車に新たな気持ちで乗り込んだのであった。2日目、スタートです_____。

 

 

 

 2日目。九州縦断のための紆余曲折のあった1日目と違い、この日の行程は単純だ。即ち山陽本線東海道本線を延々乗り継いで静岡駅まで向かう」である。

そもそも僕らがどういうルートで日本縦断しようとしていたか簡単に言うと、基本的に王道幹線ルートだ。西大山からとりあえず本数の多い主要な路線で東京駅を目指し、スイングバイするような形で北日本へと向かっていく。この2日目は、その東京駅を目指す途上ということになる。

ここで活躍するのが天下の宝刀、東海道山陽本線。太平洋から瀬戸内の人口密集ラインを東西に突っ切り、日本の物流と交通の背骨にして大動脈と言えるこの路線は、とにかく本数が多い。そして速い。ただでさえ主要幹線として確実に構築された速達性に加え、随所の通勤通学圏には快速も用意されており、要するにめっちゃはやい。18きっぱーが西日本から東京へ出来るだけ早く移動しようというときに、これを使わない手は無いのである。

という訳で、この2日目は人口密集地を駆け抜ける通勤通学列車の風情もへったくれもない姿がお届けされてゆきます。

 

 

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5:36、山陽本線下関発岩国行き。冬の山口のまだ薄暗い中を瀬戸内海に沿って突っ走るコイツこそ下関駅の1番列車であり、同時にこの日の僕らの1本目だ。ローカル線を使いのんびり観光しながら九州を縦断していた昨日とは違い、主要幹線の有無を言わせぬ速達性で一気に西日本を駆け抜けていく、その最初の列車がこれになる。

電車は暗闇を走り出す。早朝ともあり乗客はまばらだった。

とはいえ広島や岡山、関西の大都市圏を抜けていくにあたり、場所によってはかなり混雑することも考えられる。もう一度気を引き締め、僕らは東方へと向かう黄色い車体に揺られる。

 

 駅メモのふぶさんすき

 

 

東の空が白ばんでくる。

 

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周防大島大島大橋を撮る。時刻は8時半を回ったところ。既に十分明るくなった空に低く雲がかかり、その白さに水平線が淡く溶けていく瀬戸内のオーシャンビュー。

この年の10月に起きた貨物船衝突によって水道管や光ファイバーが破断し、橋自体も損傷を受けていたのがこの大島大橋。確かこの時もようやく応急復旧工事が終わり、通行規制が解除されてからちょうど一か月ほどだったと記憶している。このブログを書いている現在も本復旧工事をしているのではなかったか。本当にお疲れ様です。

 

 

9:06、岩国駅に到着する。 

 

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下関が山口県の西端なら、ここ岩国はその東端にあたる。岩国行きの電車に乗ったのが5時36分なので、下関からここまできっかり3時間半。つまりそれだけの時間を要して、まだ山口を横断し切れていないことになる。山口県は意外とデカいのだ。

 

事件とまでは言わないが、ここで軽めに予想外の事態があった。

 手持ちの時刻表によれば、僕らが次に乗るはずだったのは9:10分発白市行き。瀬戸内随一のターミナルたる広島を越え、更にその後に来る糸崎行き、さらには相生行きへと接続する電車である。

で、構内の電光掲示板を見て焦る。そんな電車は無いのである。

流石にびっくりした。掲示板には時刻表のそれとはまるで違うダイヤの電車が普通に表示され、それに関して目立って案内がある様子もない。もっとも広島近郊のこの区間は本数も多いため大した支障もないのだが、もし手元の時刻表がまるで信用ならない紙の束と化すようであればどうにかして別の手段で電車の接続を調べ行程を立て直す必要が生じる。とにかくその見立てのために、この予想外ダイヤの理由を知る必要があった。駅員室まで聞きに行く前にもう一度、電光掲示板を凝視する。

流れ続ける下のテロップに、それらしき文言をようやく発見した。

山陽本線糸崎-岩国間は、平成30年7月豪雨による被災による臨時ダイヤで…」

なんと。

これはその1でも書いたけれど、平成30年7月豪雨は僕らが2018年夏での日本縦断を断念する直接の原因となった災害である。その爪痕が未だに残っていたとは…。いや、残っていることは知っていたもの、よもやそれが時刻表と実際のダイヤのずれるような事態を引き起こしていたことが驚きであった。

駅員さんに聞いたところでも、糸崎までは実際に表示されているダイヤの方に準じて動いているとのこと。とにかく次に来た電車に乗って広島方面を目指すことにした。

 

 

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という訳で、9:17岩国発白市行きの電車に乗り込む。

 

さすが山陽本線なのは、こうしたちょっとした不測の事態でも行程にほとんど影響のないことだ。これが肥薩線みたいな路線であったらかなりやばいことは想像に難くない。休日でも10~15分に1本程度の運行本数が確保されている主要幹線だからこそ「来た電車に乗る」とかいう首都圏通勤電車みたいな雑な扱いが可能となるのである。

それにしても時刻表、そういう大事なことはちゃんと表記しておいてほしい。たまたま山陽本線の、それも広島近郊のかなりの本数を誇る区間だったからほとんど問題にならなかったけれど、書いてあるダイヤが予告なく違うというのはちょっとまずいんじゃないの。「災害による運休などについて」と題されたページにも山陽本線の豪雨のことは一言も書いていない。せめて「臨時ダイヤのため予告なく変更となる場合が…」くらい明記しておいてよいのではないか。県境を越え広島市内へと走る車内で、ぶつくさ悪態をついていた覚えがある。

 

そんなことを思い出しながら当時の時刻表をパラパラとめくる。

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真上に思いっきり書いてあんじゃねえか。ごめんね時刻表。

 

 

10時過ぎ、いったん広島で下車。

 

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一応ここでもダイヤの確認を取りつつ、お土産と少し早いが昼食を購入し、あらためて10時35分広島発糸崎行きに乗り込んだ。

 

 

お前ら今日中に静岡まで行くんだろ、そんな悠長な感じで大丈夫なのか、と思われるかも知れないが無問題。むしろこれでも余裕のあるくらいだ。さすがに東海道本線、静岡まで接続してくれる電車は日付を越えようかというあたりまで運転されている。高校生ともありそういった時間の列車にはなるたけ乗らずに済むよう努めるものの、道中で駅弁を買うくらいの余裕はあるのだ。

というわけで、はい。

 もう見たまんまですね、たこ飯だ。御託はない。うまい。

 いい感じになってきた。思えば鉄路日本縦断のくせしてここまで駅弁の登場が一度も無かったわけで、こうして車内でまともに美味い弁当を食しているだけでそういう気分になってくるのが自分でも分かる。これが旅気分ってやつか。いいね。2日目にしてようやく自分が稚内へと駒を進めている実感が湧く。楽しくなってきたぞ。稚内の遠さは未だによく分からんけど。

 

ところで、10時過ぎにしてようやく上がってきたテンションにずっと電車乗りっぱなしによる暇さが合わさってかどうかは分からないが、3人の写真フォルダにこの辺りでだけ共通して映り込んでいる子がいる。

 ぶっきーだ。

何故だか分からないけど岩国を発ってから広島を過ぎるあたりまでやたら多い。僕は常に連れていたから特別違和感は無いのだけど、(少なくとも現在において)特にそういう趣味があるわけではない2人のフォルダにまで入り込んでるのは中々愉快。ほんとなんだろこれは…?「4人」で稚内へ向かっているという意識の芽生え…??確かにここを境に何度か「一緒に写真撮ろ、ぶっきーそこ配置してあげて」とかいう文言を聞くようになった。ちょっとうれしい

 たこ飯の枠に入り込んでいる。かわいい

 

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 たいへんにかわいい

 「予備のモバイルバッテリーを背もたれにしてあげると安定する」とかいう謎の技術も暇を持て余したこの辺りの我々によって開発されたと記憶している。趣旨なんだっけ…???

 

 

12時8分、糸崎駅に到着。

 

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 時刻表とダイヤとを照らし合わせる。間違いなく合ってる。OK、糸崎以東は確実に時刻表通りだ。少なくともこの時刻表がただ重いだけの紙束と化すことはない。よかった。

12:17、山陽本線福山行きに乗ってさらに東へ。

 

この辺りからまた、件のゲームが面白くなってくる。

 駅メモには「新駅ボーナス」という概念がある。その名の通り初めてアクセスする駅につくボーナスであり、2回目以降と比べ物にならないスコアが獲得できるものだ。当然下関からここまで全ての駅が初アクセスである僕にとって、この2日目は恐ろしいほどのスコア乱獲祭と化していた。初心者とは思えない勢いでガンガン上がるランキング。楽しい。

おまけに人口密集地であり18きっぱーも多く生息する山陽本線だけあって、こういう現象もしばしば発生する。

 首都圏で争っている今でこそ特に珍しくもない光景だけど、この時は中々感動だった。この列車のどこかに何食わぬ顔で僕と同じ駅へアクセスする誰かがいる。そしてこういう場合それは大抵猛者だった。強い。運よくリンクできても秒単位で取り返されたりする。たまにこちらのでんこのスキルが発動して取り返せたりすると、それはもう良い気分だ。そうか、一緒に日本縦断しているうちに強くなったのだなあ…新駅ボーナスをもりもり吸い取るでんこたちを眺めながら勝手にしみじみする限界高校生を乗せて、電車は福山の駅へと至る。

 

 

12時46分、福山着。

 

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福山はほとんど広島の東端。山口県を1本の列車で一気に駆け抜けた後は、広島県を3本に分けて進んできたことになる。正直このあたり、思っていたより長かった。

乗り換え時間はたった3分。昨日では考えられない短さだ。次に来た山陽本線和気行きに乗ると、電車はすぐに動き出す。

 

 

そのまま岡山駅に着いたのが13時48分。

この辺正直書くことがあまりない。どうしても行程を淡々と綴るのとほとんど変わらなくなってしまう…まあ何事もなく来れたってことなんですけど。平和が一番、行程通りが一番。遅延や運転見合わせなど鹿児島で十分だ。幾らエキサイティングであれ旅はまだ序盤。このまま順調に進むことを祈るばかりです。

 

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接続の関係上、ここで降りても和気駅まで行っても次の列車は変わらない。という訳で、後続の電車が来るまで岡山駅を散策する。

 

とはいえ特にすることもなし、かといって観光するほどの時間もなし。お土産でも見て時間を潰すかなとか考えていたら、かずきくんが唐突に瀬戸大橋線のホームへと歩き始める。

瀬戸大橋線岡山駅を出るとそのまま南下し、その名の通り瀬戸大橋を渡って香川は高松まで至る路線だ。要するに本州と四国をつなぐ、僕らの行程とはまるで無関係な路線である。そのホームへと、同行者氏はガンガン歩を進める。コイツとうとう気でも狂ったか。この平和な瀬戸内の一都市から稚内まで行くその途方も無さに絶望して、あろうことか更に南の四国にまで逃避行を図ろうとしているのかもしれない。どのタイミングで見捨てて稚内に向かうべきか図りかねていると、こんなことを言い出した。「岡山駅瀬戸の花嫁が聞きたい」

ja.wikipedia.org

瀬戸の小島へ嫁ぐ心情を歌ったこの曲は、JR瀬戸大橋線予讃線のいくつかの駅の発着メロディーとして使われており、ここ岡山駅もそうした中の1つだ。要するに瀬戸大橋線ホームでこれを聞きたいというのである。なるほどね。残念ながら昭和歌謡についてはまるで詳しくない人間なのでその良さはあまり分からないのだが、少なくとも日本縦断の突然の放棄を意図した行動ではなかったらしい。よかった。入線チャイムにうっとりと耳をそばだてるかずきくんを横目に見つつ、何か勝手に安心していた。

 

あとしていたのはこんなこと。

 …ノーコメントで。

 

 

14時12分、岡山発相生行きに乗る。

車内は結構な数の人だった。座れたかどうかもあまり定かではない。広島から東へ来るに至って福山辺りまではかなり空いていたのだが、岡山を発車し兵庫県に至ってまた乗客の数が増えてくるのを感じていた。日曜だというのに中々の人出だな、などと思いながらガタゴト運ばれてゆく。

相生駅で今度は15:19発姫路行きに乗り換え。ここの乗換えに至ってはたった2分。効率性と利便性を最大に重視して組まれたダイヤ。完全に都市圏のそれである。

 

 

姫路駅に着く。

 

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だいたいこれが16時前。12月の16時となれば、そろそろ太陽が本格的に傾き始め寂しさの増す時間帯だ。こうなると1日目にも襲った感覚がまたやってくる。「これ本当に辿り着けるのか…?」

独特の焦りにも似た感情が頭に押し寄せる。静岡を目指し早朝の下関から鈍行を乗り継いでやってはきたものの、夕方も近くなってようやく姫路。ようやく京阪神地区の入り口である。ここから阪神を越え京を越え、さらに東進して名古屋を越え浜松を越え、ようやく静岡だ。ちょうど日曜の都市圏、周りの人々もどこか忙しなく動くのがやたら目につく。大したトラブルも無いとはいえ朝から乗りっぱなしの疲労感もまた、テンションの低下に一役買っていた。

 

だが、ここに心強い味方がいた。

15:56、僕らのような貧民18きっぱーの救世主とも言うべきアレに乗り込む。そう、関西圏の誇る超速列車、新快速だ。

ja.wikipedia.org

新快速。名前からして既に強そうな感じがするが、その運行形態も負けず劣らずやばい。というかめちゃくちゃやばい。

まず何がやばいかってその運行距離だ。ここ姫路やちょっと離れた赤穂駅を出発すると、神戸を抜け大阪を抜け、さらに京都すら抜けて滋賀は米原まで1本のみで至る。電車によってはそこから北陸本線に抜けて敦賀まで至る。つまりこれに乗るだけで2府2県、ないし3県を高跳びできる。とんでもない距離である。

だが新快速の真の凄さはむしろ、その停車駅の少なさにある。例えば新大阪から京都までの間、停車するのはただ一駅(高槻駅)のみと言えば分かってもらえるだろうか。京阪神地区の人口密集地帯を、ずっとこんな調子でほとんどその地区の主要駅しか停まらずにぶっ飛ばす。当然所要時間は鈍行や普通の快速なんかとは比べ物にならないレベルで短縮される。大都市の連なる関西におけるとんでもない速達列車なのだ。

こうした京阪神ワープ機能とすら思える恐ろしいほどの超速性を誇っておきながら、種別上は「快速」。貧民18きっぱーでも気兼ねなく乗車が可能だ。東海の手前から瀬戸内まで簡単に至るこの利便性が、どれだけの数の限界旅行民を助けたかわからない。そしてこの東海道山陽の速達性における真骨頂とも言うべきコイツに、僕らもまた力を借りようとしていた。

 

僕らを乗せた新快速長浜行きはゆっくりと姫路を出発すると、大阪方面に向けてすぐにスピードを上げた。

はやい。めっちゃはやい。

列車自体の速さもさることながら、気兼ねなくどんどん飛ばされていく途中駅もまたその感覚に一役買っていた。思えば西大山を発ってから2日、ここまでずっと2両だか3両だか、多くとも6両編成くらいの鈍行に乗って全ての途中駅に律儀に停車してきた。だが都会的なフォルムでかっとばす12両編成のこの新快速に乗り一路米原へ向かう今、そんな必要はどこにもない。ちょうど帰宅ラッシュの始まる頃で、どの通過駅にも列車を待つ人々がわらわらと群れていた。そんなことはお構いなしに新快速は走る。はやい。いいぞ。一種の高揚感というか、優越感に似た感覚すら覚えていた。どうやらそれは、こうして京阪神を地理的に飛び越えると同時に、そこに住む人々の生活をも一足飛びに跨いでいくことへの興奮だったのかもしれない。いずれにせよ途中駅で混雑を増した新快速はほどなく大阪を抜け、京都に迫っていた。

 

で、阪神の駅密集地帯を短時間ですっ飛ばした結果、当然の帰結としてこういうことが起こってくる。

 駅メモが、楽しい。

確かこの時も姫路から乗り合わせた猛者とアクセス合戦をかましていて、前述のようにやたら興奮していた覚えがある。おまけに15秒単位でアクセスできる駅の変わるような目まぐるしさ。同行者が睡眠を取る中、1人躍起になってスマホをポチポチ。結果として日本縦断において最もスコアを稼いだのがここ新快速区間だったと思う。この時に育てていたハルさんも今では僕の最重要アタッカーでんこ。ありがとう新快速。

 

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か~わ~い~い~…

 

 

18時25分、新快速は米原駅に滑り込む。

 

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 列車はここから更に北陸本線を北上していってしまうため、ここで下車となる。辺りは既に夕闇につつまれていた。

それにしてもとんでもないスピードだ。姫路で乗ったのが4時前だから、2時間半もかからずに京阪神を突っ切ってきたことになる。ここから後は東海道線で名古屋都市圏を越えれば、もう静岡県だ。そして有難いことに、ちょうど帰宅時間帯の名古屋にもワープ機能がついている。特別快速の存在だ。

 

18:46、特別快速豊橋行き。大垣・岐阜・名古屋を通って静岡県の手前である豊橋にまで至る電車に乗り込む。そのまま21時前までさっきと同様に駅メモをポチポチしていたらもう名古屋を越え、終点の豊橋の程近くだ。

 

こうなってくると風情もへったくれもない。山陽本線を鈍行で乗り継ぎつつ一歩一歩着実に進んできた前半と違い、街明かりの中を猛スピードですっ飛んでいくさまは最早何かの作業にすら思えてくる。早朝からずっと電車に乗り続けてきた疲れも相まって少し虚無にすらなる。いつだかの問いがまた巡ってくる____「なんで稚内行くんだっけ…?」いやだめだ。これを考えてはならない。というのも1日目、とある約束をしていたからである。

 

 「なぜ稚内に行くのか?」これは軽く禁句となっていた。言ったところでまともな解答はどこにもないことが何となく判明してきたからだ。というかこの際はっきり言ってしまえば、意味など無いのである。それが何故であるのかなど野暮な話だ。僕らは、日本縦断がしたいから日本縦断をしているのだ。こうして見ると人生みたいなもんである。僕らは、或いは神の気紛れによってこの世に生を受け、そうして今ここに生活している。そこに深い意味はなくて、早い話生きたいから生きているのだ。そうして営み考え成長しているうちに、ある日唐突に旅がしたくなったりする。そうしてただその思いだけで行程を立て、西大山から稚内まで、鈍行でちんたら漕ぎ出したりするのだ。

 

 

名古屋からの帰宅客で混雑した特別快速は、20時54分に豊橋駅へと到達した。

今度は鈍行で浜松まで向かう。乗り換え時間は3分。特別快速からの乗客と豊橋からの帰宅客で車内はたちまちごった返す。東海の通勤通学圏はまだ続いていた。

 

疲れた体にかなり堪える浜松までの立ちっぱなしだったが、それとは別に新快速の辺りからとある感覚があった。「東京」へ確実に近づいていることへの安心感である。

 何だかんだ言えど、僕らは結局都内の高校に通うれっきとした関東人。九州や瀬戸内の空気を楽しんではいたけれど、やはり異郷に足を踏み入れているような感覚が、ある時は旅の興奮、またある時は寂しさとして襲ってくる。

それが今、こうして新快速で関西を抜け、特別快速で名古屋を抜けて東海へ至っていることはほとんど帰宅と言ってよいような心境だった。駅名標のフォントが変わり、車両の見た目が変わり、地名がだんだんと知った物へ変化していく。こうした通勤列車の雰囲気もまた1つで、さながらいつもの田園都市線を最寄り駅へ向けて揺られているかのような顔になる。人を寄せ付けず自分のテリトリーを守るためにしかめっ面でスマホに目を落とすその感覚は、ここではむしろ日常への回帰すら思わせるシンボルとして有難さをも感じさせた。悲しいかな、都会人は旅をしたところで都会人だったのである。

 

 

21:31、浜松着。結局この鈍行は終点であるここまでかなりの混雑を見せた。

 

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 もう既に静岡県駅名標もよく見る所謂「東海道線のアレ」である。思えば今日の朝は本州のほとんど最西端にいたというのによくここまで来たものだ。どうしてもこのまま帰りたくなる。新幹線乗っちゃ…だめ…???

 

だめです。本日最後の列車、21時43分浜松発静岡行きである。

 

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 慣れ親しんだオレンジ線のフォルム。ここがJR東海であることを強く感じさせてくれる。そしてここは地獄として名高い、問答無用の全席ロングシート区間。さすがは東海道線。快速2本で高速移動をキメて来た18きっぱーに、勘違いするなと言わんばかりにきつい鈍行をぶち当ててくれる。静岡駅までの1時間ちょっと、僕らは硬いロングシートで寝るにも寝られず最後の最後まで体力を奪われ続けた。暗闇の中、口数少なになった3人組を乗せ、鈍行はガタゴト走ってゆく。

 

 

そして_____22時52分、電車は本日の目的地たる静岡駅に到着した。

 

 

2日目。 この日は本当に長かった。

 

太平洋岸を突っ走り日本の名だたる大都市を駆け抜けたのがこの日だった。北九州都市圏を発って広島を越え、岡山を越えて姫路に至り、京阪神を信じられない速度で突破したのちは名古屋を横目に、とうとう東海は首都圏の一歩手前まで、駅メモの記録にすら収まりきらないような駅数を通って来ている。かかったのは17時間とちょっと。電車に乗っていた時間だけでも16時間近くあるだろう。明日はとうとう東京すら抜け、いよいよ稚内に向けて北上が始まる。失った体力を回復しここからの行程に備えるため、できる限り早めに就寝すべきである…本来は。

 

だが長丁場を無事に終えた僕らは案の定狂っていた。順調に進んだ1日に祝杯を挙げ、うまいもので腹を満たそうという空気が嫌が応にも高まる。奇しくもこの日は12月23日、天皇誕生日である。ただでさえ頭のネジが吹っ飛んだ僕らが適当に理由をつけて散財するには十分だった。

ちょうどいいところに駅前にサイゼリヤを見つける。「よし、今日はパスタやらピザやら大皿をアホみたいに頼んで山賊の集会でもやろう」意気揚々と入店する。

そのまま堂々と席に着こうとすると店員さんから声をかけられる。「失礼ですが、ご年齢は…?」

年齢?どういうことだ。静岡には高校生がサイゼで飯を食ってもいけないとかいうローカルルールでもあるのか。僕らは下関から18きっぷでここまで来てるんだぞ。美味いものの1つくらい頼んだっていいはずだ。はっきりと答える。「高校生ですが」

すると店員さんはやはりといった目をして、こう言った。「申し訳ありませんが、18歳未満の方の23時以降の入店は条例で禁止されていまして…

 

 

 

 

あっ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ジャンクフードは最高ですね。

日本縦断をしました - その2(隼人→下関)

たぎょうです。忘れないうちに日本縦断進めていきます。

前のはこれ↓

ta-chi-tsu.hatenablog.jp

 

 

前回を見返していて我ながら驚いてしまった。 あんだけ書いてまだ1日目の午前中なの…??旅行中から散々言われているけど初っ端から濃すぎる。というか殆どがトラブルとその対応に費やされている。初手だぞ初手。前世でどういう因縁があったら旅開始僅か4時間の内に絶望と希望のサイクルを一周するのか。

最もここで悪運を使い果たしたか、ここから暫くは大したアクシデントもなく至極平和な行程が続きます。ホントです。はいそこ残念そうな顔しない。そう毎回毎回トラブルに巻き込まれていたらこっちの身が持たない。ここまで来るとどうでもいいような気すらしてしまうがこの旅行の趣旨は18きっぷ日本縦断であり、このブログの目的はそれを淡々と思い起こし記録に遺すことです。決して行く先々で様々な困難に直面する僕らが行程維持のためにエクストリームスポーツ(?)をかます様を見て楽しむためではない。_____多分。日本縦断そのものが既にエクストリームスポーツだろって?返す言葉もございません…

 

 

 

12/22 日本縦断1日目

西大山→下関

ここまでの流れを少しおさらいしようと思う。

ついに西大山を発ち下関を目指すも、鹿児島中央にすら着かずして突然の運転見合わせに巻き込まれる一行。復旧を望む我々の願いが通じてか否か、いずれにせよ幸いにも日豊本線は再び動き出し、僕らはなんとか乗換えのある「隼人駅」に行程通り辿り着いたのだった。これがその1での出来事。

 

 

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という訳で、10:35、定刻通り隼人を発ったJR肥薩線の車内からスタートとなる。

 

 

 

いきなり話が飛んでしまうが、隼人から八代までを結ぶJR肥薩線において楽しみにしていることが一つあった。前回にもちょこっと説明したけれど、観光列車「しんぺい2号」である。

www.jrkyushu.co.jp

まあ上のサイトを見たまんまです。要するに人権列車である。豪華な内装、雄大な景色、いくつもの観光名所。吉松~人吉間の急勾配をゆったりと走る、極上の列車。それが「しんぺい2号」なのだ。

なるほどね、良いじゃないですか。だがちょっと待ってほしい。列車名のアタマにはっきりと記された種別名がお分かりだろうか。そう、堂々と書いてあるのである、「特急」と。しつこいくらい繰り返してきたが僕らが持つきっぷはたった一つ、「青春18きっぷ」これのみだ。貧民旅行の代名詞たる18きっぷには当然ながら「指定席特急券と併用して特急に乗る」なんて高尚で畏れ多い機能は付属していない。当たり前である。18きっぱーに人権などありはしないのだ。

一体どうするつもりか。鹿児島中央での運転見合わせで行程が危うくなったときでさえ肥薩おれんじ鉄道への乗車を渋った3人組である。よもやこんなところで18きっぱーとしての誇り(?)をかなぐり捨てたりはしない。今回の場合も、18きっぷの使えるような特例を見逃すことなく確実に捉えていた。

ただし、人吉~吉松間は普通列車として運転します。http://www.jrkyushu.co.jp/trains/isaburou_shinpei/

 この通り。「ただし」書きがされているのは、人吉からそのまま八代方面に抜けてしまう特急しんぺいが存在するため。我々が利用しようとしている吉松~人吉間の「しんぺい2号」であれば全区間普通列車扱いとなる。観光列車ということで指定席はあれど、普通車指定席であれば如何に権限の無い18きっぷであろうと、併用して使うことが可能である。要するに、18きっぷ+たった520円で、この区間における最上級の人権が手に入ってしまうのである。

 

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はい。まあなんと素晴らしい。

これも前回に触れた通りだけど、この区間の本数の少なさのこともあるのだろう。こうした特急・観光列車を除けば、吉松~人吉間を走る列車は朝一の普通列車が1日にたった1本のみ。ほとんど観光化された区間とはいえあまりに少ないとJRも判断したのだろうか。いずれにせよそのお陰で我々はこうして人権を確保しつつ悠々と下関を目指すことができる。感謝の極みである。

 

なるほどね。理屈は理解した。お前ら貧民旅行勢でも人権を確保できることは認めてやろう。理論上は。

だがプライドは無いのか??非人権きっぷを使い日本縦断を完遂せんとすることへの誇りは??こんなところで人権を摂取する行為に対する良心の呵責は??胸が痛くなりはしないのか????

 

これに関してもはっきりとお答えしておきたい。あるに決まっている。

僕らとしても、そもそも限界旅行を目論んでスタートした日本縦断において無暗に人権を確保してしまうことに対する罪の意識くらいはある。かずきくんに至っては「人権を摂取するのが忍びないのでしんぺい2号では絶対に一度も座らない」とか言い出す始末だった。おまけに鹿児島での事件の後だ。どうせなら初手で降って湧いてきたエクストリームな日本縦断をそのまま続行したかったし、こうして束の間とはいえ人権旅行へ切り替わってしまうことへの無念さ、残念さを抱えて吉松へ向かっていた。もう一度言う、無念だったのである。

 だが、思い出してほしい。そもそも何故僕らがJR肥薩線を使っているかを。

 鹿児島中央から鹿児島本線を使いひたすら北上するのが最も効率的であるにも拘らず、僕らがそれを選択しなかった、いや、選択できなかった理由______もう思い出されたであろう。肥薩おれんじ鉄道である。第三セクターであるこの路線が八代までを牛耳ってしまっているために18きっぷを使うことが出来ず、僕らはやむを得ずJR肥薩線で八代まで出ることを選択せざるを得なかったのである。繰り返す。肥薩おれんじ鉄道のために、僕らはしんぺい2号で人権摂取以外の道を閉ざされたのである。いやあ残念だなあ。もし肥薩おれんじ鉄道が無ければ、僕らはそのまま鹿児島本線で限界旅行を続けられたのになあ。いやあ無念無念。こんな人権を得ることになってすっごく幸せ悲しい。肥薩おれんじ鉄道さえ無ければなあ。僕らはな~んにも悪くないのに観光列車に乗って綺麗な景色を楽しまなくちゃならない。肥薩おれんじ鉄道が悪い。全部肥薩おれんじ鉄道のせいだ。肥薩おれんじ鉄道ありがとう絶対に許さない。

 

 

 

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という訳で、 ある種仕切り直しのような心地で吉松へ向かう列車に揺られる。

遅延+運転見合わせのコンボで初手の初手から大変なドタバタを強いられた僕らだったが、ようやく本来の行程に戻ることが出来ほっと一段落したのがようやくここに至ってのこと。そしてそれと共に、これからの途方もない旅程を一度俯瞰し冷静になるにはちょうど良い時間である。

初っ端から碌でもない緊張を強いられる羽目になったけれど、そろそろ「旅のリズム」が構築されるべき頃だった。これから5泊6日、1日十数時間も電車を乗り継ぎ3人で北上していく中で常に共有されているべき呼吸感_____それは個性とか役割分担とか社会的なものではないにしろ、この旅における一人一人の「平常心」みたいなものがある程度整い始めたのが、大体このあたりだったと思う。多分にそれはアクシデントから解放された落ち着きが大きいだろうけど、それ以上に「吉松にさえ着けばしばらくは人権を摂取できる」という精神的余裕がかなり強く作用していたものと感じている。ありがとう肥薩おれんじ鉄道

とはいえ安心感は僕らに疲労感をもたらし、そして日豊本線の複線を離れて山中へ入っていく肥薩線の単線を進む気動車の揺れは、疲れた身体にあまりに心地よかった。睡眠、大事。

 

 

目を覚ましたのは、どこかのお爺さんが近くのボックスにどっかり腰を下ろし、何やら紙を片手にブツクサ呟く声に起こされてのことだったと思う。

だいたい吉松に着く20分前かそこら。断片的に単語が聞こえてくる。「人吉……熊本………どうやって…?」寝起きの頭にもなんとなく内容が把握されてくる。お爺さん、もしかして肥薩線から熊本駅まで辿り着く方法を調べようとしている…?同行者2人も同様に思い始めたらしい。車内の意識がなんとなくそちらへ向き始める。

しびれを切らした(?)のは例の如くかずきくんだった。さっさと席を立ち熊本までの接続を教えに行く。この辺ほんと流石である。旅先で人に話しかける/かけられるのが限りなく上手。勿論僕らの中でこうした旅行に最も精通した人間が彼であったにしろ、社会生活の日常においてこうした社交性を確実に身に付けておられるのはあまりに尊敬に値する。僕みたいな陰キャオタクは分かっていてもそこまで早く行動することをしない。大抵傍観に終わる。いくつか行程を伝授して貰ったらしいお爺さんは、戻ってくるかずきくんに続いてわざわざ礼を言いに来て下さった。

 

で、結果的にこれがちょっとした出会いになった。

12月だというのに半袖短パン、豪胆でマイペースなお爺さんだった。ルートを教えてもらいすっかり気をよくしたらしく僕らと話し込む気満々である。なんだ、3人で旅してんのか?ええそうです、東京から来たんです、東京から!とりとめのないやり取りから最早恒例となった(?)アレが飛び出す。「どこまで行くんだ?」「稚内です」「おお!そりゃすげえな」

ん…今までと反応が違うぞ…?少なくとも九州の方ではなさそうだった。会話のテンポを軽く取られる形になった僕らを後目に、お爺さんはゴソゴソと何かを取り出す。出てきたのはiPadである。

「俺な、今日本中旅してんだ」見せてくれたのは大歩危の写真。どうやら本当に各地を旅しているらしい。写真に出てくる恰好も全て、半袖短パンである。なんかマジで凄いぞこの人…?

驚いたのはこれに留まらなかった。さらにカバンから引っ張り出される小さな冊子にはこう書かれていた______「JAPAN RAIL PASS」と。

www.japanrailpass.net

これも詳細な説明はサイトに譲るとして、簡単に言えば「新幹線のぞみ・みずほ以外JR系統の交通だいたい全部使えます、ただし訪日外国人だけ」というきっぷである。貧民御用達18きっぷの対極______とか言いたくなるが問題はそこではない。訪日外国人…?

詳しくはお聞きしていないのだが、どうやら海外で事業やったりなんやかんやで現在オーストラリア国籍をお持ちらしい。現在は引退して悠々自適ということか。iPadシドニーのご自宅を見せて頂く。屋上から高層ビル群が見える。凄すぎか…??

うーん。纏めると「オーストラリアで成功して引退しブルジョワ切符で悠々自適に日本を旅する気さくで豪胆な半袖短パンおじいちゃんと吉松行の車内でたまたま意気投合した」となる。いやこれ情報過多だ。こうして書いていてすらうまく整理がつかないのだから当時の僕らが押し寄せる情報の波にどれだけ混乱していたか想像に難くない。必死に状況を理解せんとする僕らの前でお爺さんは楽しそうに旅行の経過をまくし立てるのだった。

止まないおしゃべりの隙を伺いつつ(?)一応訊いてみる。「今日は何で肥薩線に…?」「いやな、本当は特急きりしまってあるだろ、あれに乗るつもりだったんだよ____けど停電とか起きちゃっただろ?」なんと。あの運転見合わせが無ければこのトンデモない出会いも無かったわけです。こうなるとあれだけ散々な思いをしても停電もあながち悪いことだけではないな、とか感じたりするから困る。人間、単純。

親切に道を教えてくれたお礼だよ、とか言っていなり寿司をくれたりする。えっこれはどちらで…?実家が九州にあるんだよ、そこに寄った時に貰った、お母さまご健在なんですか素晴らしい、そうだよ写真見るかい?____確かに手作りの感を強く醸す大きなお稲荷だった。お礼を言って頂く。おいしい。しっかりと醤油が利いていて甘ったるくない。よくある甘味の強いお稲荷さんが実のところ苦手な僕にとってこの味付けはお世辞抜きで非常に有難かった。こういう醤油ベースの美味しいお稲荷さんの店ご存知の方おりましたら是非ご一報ください。

 

 

列車は吉松に到着した。

 

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とうとう来ました、しんぺい2号。

 

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相当嬉しかったらしく世界人権宣言の前文を引用して言祝いでいる。ぶっきーが逆光で若干怖いのはご愛嬌。

先程までのお爺さんは?電車を降りるともう姿が見えなかった。マイペースな方である。まあいずれにせよしんぺい2号に乗らなければならないことはお伝えしたので指定席券でも取りに行かれたんでしょう…たぶん…大丈夫かなあ…?

 内装は調べた通りの人権っぷり。収容人数よりもゆとりあるスペースに重きを置いて設計されたらしい構造は、逆に肩身の狭さすら感じる。中央のカウンターには案内役のガイドさんが就いている。椅子は少し硬めだったが、木材を基調としたデザインは質感を強く支えていた。いいんですか18きっぷでこんなん乗っちゃって…?途中で見知らぬ山奥に放っぽり出されるやつじゃないのこれ…?緊張と畏怖の念に抗いつつ腰を下ろす。おまけにしろくま早食い対決で勝ち得た窓際ワイドビュー座席である。負けたかずきくんはというとあっさり通路側に陣取ってT氏と早くも談笑している。しんぺい2号の指定席には座らないんじゃなかったんかお前。

 

 

「観光列車」という位置づけの通り、人吉までの途中いくつかの名所駅に停車する。

 

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12:02、真幸駅に到着。「真幸」と書いて「まさき」と読ませる。

 

こうした途中駅では観光のため5分ほど停車時間を取っており、周辺を軽めに見て回ることが出来る。

 車内でガイドさんが色々と解説してくれる。「真の幸せ」と書かれる駅名の通り、この駅は幸福のシンボルとして人気らしい。ホームに降り立つとなるほど、駅名標のすぐ隣に幸福の鐘なるものがこれ見よがしに設置してあり、既に多くの乗車客が一人ずつ鳴らして幸せを願っている。

 

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とはいえじゃあ自分も鳴らしに行こうか、とはならなかった。当然だ。大体この手のものは一般的な観光客か、或いはカップルや新婚さんといったこれから真に幸せになるべき方々のために設置されているのである。ルール上可能であることに託けて観光列車に潜り込むような驕った限界貧民18きっぱー如きに、烏滸がましくも今後の著しい発展を願い鐘の音を響かせるような真似が許されるべきではない。そう、あってはならないのである。絶対に……

 

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鳴らしました。

 

案の定同行者2人が何を願ったの?やっぱりぶっきーとの今後のご発展?とか煽ってくる。やめろ。今後の旅の無事に決まってんだろ言わせんな。まあブッキーも大事だけど

 あとこれ見た目に反して中々に音量がでかい。自分で鳴らしといて少したじろいでしまう。たぶん大編成のオーケストラに参加させても遜色ないくらいの音響を放っている。そんなのが閑静な山中の小駅に轟くんだから相当なものである。いさぶろうしんぺいに乗って毎日押し寄せる観光客に金属の接触音を幾度となく放たれるであろう近隣住民の皆様は迷惑に思ったりしないのか…?とか考えていたら発車時刻となった。

 

 

真幸の駅を出るとちょっと面白いものが待ち構えている。

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撮影したのは車内から。ススキの後ろに映るのは線路。つまり僕らの進む列車と並行して、もう一本線路が敷かれている。

だが当然ながらこの区間は全て単線。一応言っておくとこの隣の線路は現役で使用されており、廃線とかの類ではない。どういうこと…?

 

お詳しい方ならお気付き、というかご存じだろう。いわゆるスイッチバックである。

ja.wikipedia.org

大きな口を叩いておいて自分もまるで詳しくないためWikipedia貼っ付けになってしまうことをご容赦下さい。簡単に言えば、列車が急な山道を登るための線路の敷設の一つである。急勾配に沿って線路をジグザグになるように配置し、そこを上る列車はその都度進行方向を変え、斜面に対して斜めに進んでいく。こうすることで、斜面をまっすぐ上るより緩やかな勾配になる、というお話である。

つまり写真に映る線路は、先程僕らを乗せたしんぺい2号が進んできたものであり、僕らはこのスイッチバックに位置する真幸駅を折り返す形でさらに勾配を上ろうとしているのだ。最も列車の馬力向上に伴ってこうした敷設の必要は薄れていき、現在では中々珍しいものであるよう。なるほどね、いいものを見た。この辺全部乗りながら知ったんですけどね。

 

 

いくつかのトンネルを抜け山道を上ると、突如として一面のパノラマが広がる。

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えびの高原だ。

 

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 「日本一の車窓風景」などと謳われているが実際非常に見事だった。晴天に浮かぶ雲々を遥か高くの太陽が貫き、盆地を神々しく照らす。線路のある山肌と向こうに見える平地、遠くの山々がこれでもかと遠近感を醸す。少し暑さを感じる車内に耐えかね窓を開ければ、秋の色香を残した爽やかな高原の息吹がたちまち列車全体を包む。これが人権か____18きっぷでここに来ていることも忘れ南九州の風を胸いっぱいに吸う。うまい。前回「美しい景色はどれだけ切迫してても美しい」みたいなことを書いたけどあんなものは嘘だ。美しい景色は心に余裕のある時に味わうのが最高に決まっている。なにが絶望の朝日だ。希望と人権の穏やかな陽光に変わってくれて本当に良かったですありがとうございます_______

実際この区間は観光列車いさぶろうしんぺいでも一番の目玉となっており、駅でもないのに一旦停車して風光明媚な高原の姿をたっぷり堪能させてくれる。ガイドさんによれば「日本三大車窓」なるものに数えられているらしい。そうやってすぐ三大〇〇作る。まあ綺麗なんですけど。

 

 

12時27分には次の矢岳駅に到着。ここにはSL(所謂デゴイチ)が展示してある。

 

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いえい。

 

SLの前で見知った顔を見かける。さっきのお爺さんだ。聞けばあの後無事指定席券を手に入れしんぺい2号に乗ってきたものらしい。よかった。

この駅からようやく熊本県内に入る。因みに1つ前の真幸駅は鹿児島ではなく、ギリギリ宮崎県内。肥薩線が南九州の中央部を突っ切っているのがよく分かる。

 

 

12時49分、大畑駅に到着。この駅もスイッチバック上に位置している。

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「大畑」と書いて「おこば」と読ませます___それはいいとして、駅名標の周りのこの夥しい数の紙は…?

 

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大畑には「名刺を貼ってゆくと出世する」という言い伝え(?)があるらしく、こんな感じで恐ろしい数の名刺が貼ってある。ここまで来ると流石に怖い。壁一面ならまだしも大量の名刺は待合室を占拠し、さらに外の壁まではみ出している。正直出世どころか呪われそうだ。薄暗い構内の雰囲気も相まり写真も程々に退散する。

 

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車内に戻ると、かずきくんが何やら購入している。どうやら駅ホームで地元の方々が販売していたらしい。そういえば、と真幸や矢岳の駅でも地域の方が露店を構え名産品や軽食を販売していたのを思い出す。観光列車としての地域貢献はこういう形でも現れるのだな、などと大畑の駅から手を振る地元の方々を見て思ったりしていた。

 

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しんぺい2号の前でピースしているT氏。かわいい。そういえば例のお爺さんにも可愛がられて頭を撫でられていた。やはり彼の可愛さは共通のよう。まあ本人に言うと怒るんですけど。

 

 

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 人吉に着きました。

 

人権列車しんぺい2号ともここでお別れ。この先こうした観光目的の列車に乗ることは無い。若干の名残惜しさを湛えつつ列車を降り、市内に出る。

 

ここでまた肥薩線のローカル線っぷりが光ることになる。本数が無い。八代方面に接続する次の普通列車はだいたい15時半発車。人吉に着いたのが1時過ぎなので2時間半近くも用意されている。なるほどね、人吉に着いたらまず観光するのがしんぺい2号の一般的な乗客。人吉から八代まで迅速に接続する列車をこの時間に設定したところで誰も乗りはしない。18きっぷでなるべく早く九州を駆け抜けたい貧民のことなど最初から考えられてはいないのだ。

ならば、と開き直り観光することにする。幸い昼食にはちょうどいい時間。どこかいい店は、と思案しつつ市街地へ歩き出した矢先、最早見慣れた後ろ姿を通りの向こうに観測する。例のお爺さんだ。

お爺さん、案の定なかなかの健脚。なんとか追い付いてどこへ行くつもりか訊く。どうやら1kmほど歩いた先のお蕎麦屋さんで食事を摂るつもりらしい。丁度いいじゃん。12月だというのに意外なほど暖かい人吉の市街を、一行は歩くことにした。

 

 

はい。

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 最早この人権について拙い賛をうだうだ書き連ねる気はない。日本縦断開始から初のちゃんとした食事だ。しかも鹿児島であれだけドタバタに遭遇した後だ。美味くないわけがない。人間というのは美しい景色を見て炭水化物を摂れば、勝手に幸せになるように出来ているのだ。こんなことも分からない奴は一度日本縦断を決行し鹿児島で運転見合わせに巻き込まれればよろしい。

目の前に座るお爺さんとは言えば、この真っ昼間から一番搾りを注文して楽しそうに笑っている。道中このお爺さんの豪胆さには多少たじろぐ節もあった僕だったが、ここまで来ると流石という気持ちになった。真冬に半袖短パンで日本各地を旅し明るいうちから生ビールを呷る健脚お爺さんが健康体でない訳がない。海賊王か何かを現代に転生させたみたいな人だな、とか思っていたら更にそれっぽいことを言い出された。「この蕎麦奢るよ」

 流石にこれには焦った。僕らのしたことと言えば、熊本への行き方を教えただけである。しかもこれはかずきくんのみ。どう考えてもお金の絡む形でお礼をされるような義理ではない。止めようとするもお爺さんは聞かない。いいからいいから、と4人分の蕎麦代を清算してしまう。

僕らが有難さと申し訳なさで困惑の表情を浮かべていたのだろう、お爺さんは結局こう提案してくれた。「じゃあこうしよう、これから4人で温泉に行く、その温泉代を3人で払ってくれ____これでどうだ?」それでもまだ不釣り合いな気がしたが、了承することにした。この時のお爺さん、本当にありがとうございました。

 

 

人吉は温泉地として有名で、市内にはいくつかこうした日帰り温泉があったりする。まだ時間に余裕のあった僕らは、この中の1つに向かうことにした。

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温泉である。入る。

気持ちいい。こういうときの温泉ほどずるいものはない。鹿児島での苦労で蓄積した疲労感がお湯へと一気に解け出ていく。体まで一緒にふやけてしまいそうである。というかまあ普通に考えて気持ち良くないわけがない。人間というのは美しい景色を見て炭水化物を摂り、湯船に浸かれば勝手に幸せになるように出来ているのだ。こんなことも分からない奴は一度日本縦断を決行し鹿児島で運転見合わせに巻き込まれればよろしい。

 ここの温泉代は1人300円。お爺さんの分を3人で分担するから100円ずつ。わお。100円でざるそば1枚が食されてしまった。ファミチキより安い。あまりに寛大過ぎる。本当に感謝の極みです…。

 

僕らは次の列車のこともあり早めに湯船を出る。お爺さんはその後の特急で熊本を目指すそうだったから、温泉でお別れとなった。名残惜しさを感じながらお礼とお別れを言い、温泉を出る。余りに濃い時間だった。

 

 

3時38分発、人吉発八代行きの普通列車に乗り込む。

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しんぺい2号から散々人権を摂取してしまったが、それもここまで。八代から下関までは鹿児島本線の乗り継ぎに次ぐ乗り継ぎであり、 休んでいる暇は無いのである。先程までのお爺さんとの重厚な数時間を思い出して感慨にふけりつつも、一行は気持ちを新たに球磨川沿いを八代へと向かう。

 現役は僕だけでは……?

 

 

 という訳で17時前、僕らは八代駅へ辿り着いた。

 

駅メモはその日一日にチェックインした箇所のGPS履歴を記録し、こうして表示することができる。

それにしても酷い。肥薩線どんだけスッカスカなんだお前。 隼人から吉松、人吉から八代でずっと睡眠していたのが窺える。それとは対照的なのが指宿枕崎線、それも丁度運転見合わせでやきもきしていた頃の箇所だ。最低か…?同行者2人が絶望的状況下で、それでもなんとか下関へと辿り着く代替手段を模索していたまさにその間、僕はすっかり諦めてかわいい女の子とステーションメモリー集めに勤しんでいたらしい。凡そ人の心を持つとは思えない。

ではこれによって僕がここから駅メモをすっぱり辞めたかと言えば、そんなことはまるで無かった。

こうなると俄然楽しい。駅メモはこうして駅の奪い合いをするのがコンセプト。故に山の中から人口密集地に出てきたことで、駅あたりのプレイ人数が増え、難易度もぐっと上がってくる。 こうして僕は下関へと辿り着くまでの間、延々と駅メモをプレイし続けたのであった____。

 

 17:08、僕らは鹿児島本線銀水行きへと乗り込んだ。

冬の日没は九州と言えど早い。あたりは既にかなり薄暗い。こうなると人間は少し感傷的になる。これ大丈夫なのかな…?まだ夜も明けぬ早朝からずっと電車を乗り継ぎ、日没へ至ってようやく八代。下関まで距離的に言えばようやく半分に至るかどうかである。何度も手元の時刻表と行程とを照らし合わせる。確かに間違いはない、このまま乗り継げば確実に下関へ辿り着けるはず、でも____疲れていたこともあったのだろう、言いようのない独特の不安感が去来していた。

とはいえ多少なりともこれを和らげてくれたのが、鹿児島本線のその複線を黙々と進んでいく、その感覚であった。全席ロングシートの(確か)4両編成には座り切れないほどの人が乗車しており、平地の沢山の街明かりの中を先程までの肥薩線とは対照的な快速ですっ飛ばしていたかと思えば、駅に着けばかなりの数の人々が慌ただしく移動する。僕らが日々の通勤通学で感じる平常の忙しさと、この感覚は皮肉なくらいよく似ていたのである。そしてこの日常の雰囲気に、僕は救いを求めたらしい。少なくとも自分が着実に下関へと近づいている実感を与えてくれるには、あまりに十分であった。そしてこの時に限らず、自分を乗せた列車が1本の線路をただ寡黙に邁進していく力強さに、僕は幾度となく助けられることとなる。

 

 18:42、銀水の一つ手前、大牟田駅で快速門司港行きに乗り換える。

 幾度となく同じユーザーさんに当たったりしてこういう感じに分かったりする。楽しい。

 

そして19:17、僕らは門司まで行くことなく、ある途中駅で下車する。

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鳥栖駅。知っている方ならもうお分かりだと思われる。改札外に用がある訳でもないのにこんな駅に降り立つ理由は一つしかない。

 鳥栖名物かしわうどんだ。うまい。2食連続麺ものとかそういうことを気にしてはいけない。炭水化物食った、美味い、それでいいのだ。こんなことも分からない奴は(ry

 

とはいえ次の電車の時間が迫る。慌てて掻きこみホームへと急ぐ。

 

という訳で19時35分、次の区間快速門司港行きへ乗って門司へとかっ飛ばす。

途中博多や小倉という九州随一の巨大駅に停車する。流石に人が多い。電車がボックスシートだったのがかなりの救いである。これロングシートだったら相当疲れていただろうな…ととりとめもなく考える。最もこの辺りに至っては他にすることもなくTwitter駅メモを往復していたからあんまり書くこともないんだけど…。

 

21:33、約2時間の乗車の後にようやく僕らは門司へと辿り着いた。

「グッバイ」の通り、九州最後の駅がこことなる。ここからは山陽本線に乗り、関門海峡の地下を潜り抜ければ、1日目の目的地である下関だ。

やはりというべきか独特の感慨があった。実を言えば初めての九州だった。様々な出来事があった(本当にあり過ぎた)けれど、何だかんだであと一歩のところで本州というところに来ている。これは日本縦断を敢行する僕らにとって、強い達成感であり安心感だった。九州という土地____同じ日本と言えど、言葉の訛りの違い、駅名標のフォントの違い、その他気候風土諸々、あらゆるタイミングで感じる「異国」感というか、ある種の疎外感であり寂しさのようなものを常に感じていたことは確かである。こうした意味であと一歩で本州へ至れる安心というものは、僕らを強く支配していたように思う。

とはいえ逆に、九州を離れる寂しさのようなものもあった。僕らの目的は日本縦断。行程のために多くの名勝をスルーし、八代以北に至っては一度も改札から出ていない。要するに九州を堪能する観点で言うなれば、僕らの時間はあまりにも短かった。前日に飛行機で鹿児島に降り立ってから出会った多くの出来事、多くの人々のことを思う。飛行機の遅延、砂蒸し温泉、宿のご主人、西大山、指宿枕崎線、絶望の運転見合わせとあの朝日、再開を耳にしたときの歓喜と脱力、肥薩線のお爺さん、しんぺい2号_____思い返せばかなりの予定外とトラブルの連続だったけれど、それでもこの2日間で過ごした時間の濃密さは、この旅の全体を通してみても随一のものだった。そして少なくとも、また九州に、願わくば今度は長い期間を設けてゆっくりと旅をしに来たいと思わせてくれるには十分だったように感じます。ありがとう、九州。

 再掲される何か

 

 21時48分、門司発下関行き。この日の最終列車だ。

車内はかなりの人だった。確かこの旅で初めて座れなかった記憶がある。ともあれ列車は発車してすぐトンネルに至り、次に夜空が見えたとき、そこは既に本州だった。

 

21時55分、下関着。

 

怒涛の1日目、終了___________。

本当に長かった。下関に辿り着いた瞬間の解放感といったらなかった。1日中列車に乗るとはこういうことか_____それまで碌に旅をしたこともなかった僕にとっては本当に戦慄の1日であり、同時に洗礼の1日でもあった____今思い返してもなんだよ初手で運転見合わせって。

ともあれ無事に下関へ辿り着いた。それでもこの日はまだしんぺい2号を始めとした人権摂取時間があったから良かった。問題は2日目からだ。真の意味での1日中乗りっぱなしに備えて英気を養うべく、僕らは迅速にこの日の宿へと向かった。

 

 

 

 ホテルに着く。

 

風呂その他を済ませそろそろ寝ようかとベッドに入りかけた僕らが見てはいけないものを見てしまったのは、そろそろ夜も更けようかという23時過ぎのことだったと思う。

 

 

 

下関に来た+疲れていた+十分に時間があった

=フグを食った

 

 

 

 

 

 

 

 …さあ?

 

日本縦断をしました - その1(西大山→隼人)

たぎょうです。

 

「日本縦断ブログにまとめる!w」とか荒唐無稽な調子の乗り方をしてからもう半月が経っている。まあどうせ9割方自己満足なのでそこまで気にしていなかったつもりなのですが、いざ旅の紀行を写真でまさぐっていて自分でも驚く。想像以上に思い出せない。12月に旅立っといてもう本年度も終わろうってんだから当たり前と言えば至極当たり前なのだけど、焦る。普段から事あるごとに適当さと計画性の無さを撒き散らして反省の一つもしないくせに、なんだかこういうタイミングでだけ勝手に焦っている自分がいる。まあ何と身勝手なことか。

ともあれ忘れないうちに進めることにしました、日本縦断旅行記。とはいえ思い出せる分量とブログとしての長さを考えて、すこーし(本当に少し)ずつ。本当に終わるのかこれ………????

 

 

調子に乗って書き始めたのが運の尽きta-chi-tsu.hatenablog.jp

 

ところでこの「ごあいさつ」とか題された謎ポエムでは全くのスルーだったけれど、東北や北海道の交通事情について少しでも見識がお有りの方であれば当然抱かれる疑問に対してお答えしなければならない。そう、なんで冬にやった?と。

北日本の冬はあまりに厳しい。ただでさえ豪雪、12月の後半ともなれば日本海側を中心に強い寒波が襲っても何らおかしくはない。我々が北上する中で相手にしようとしているのは、まさにこうした地域をひた走る奥羽本線であり宗谷本線である。JRが如何に逞しかろうと、容赦ない気候の中では運行に支障を来すことも大いにあり得る。早い話、何も起きないわけがないのだ。

我々が縦断をする上で「南から北へ」のルートを採択したことも(これは航空機の時間の関係上仕方なかったとはいえ)この愚かしさを強調する方向へ働いた。すなわち、鹿児島からただただ鈍行を乗り継ぎようやくゴールである稚内を目前にするというところで、ラスボスすぎるラスボス「宗谷本線」を迎える形となるのである。たとえば夏であればこんなことは何の問題にもならなかったはずだ。マジでなんで冬……?

 

 完全な言い訳になるのですが、「我々も当初は夏に決行するつもりでいた」というのが答えになる。

そもそも日本縦断という案が仄めかされたのは2018年の夏前。言い出しっぺはかずきくんこと@kazukikunn0909。今回の日本縦断のリーダー的存在にして、計画のほとんどを練ってくれた立役者。僕なんかはそれまで鉄路での大きな旅行をしたこともなく、金魚のフンのごとく彼にくっついていたのみである。感謝してます。

このときも彼が指揮する形で具体的なプランを考えようと思っていた矢先、事は起こる。平成30年7月豪雨である。

ja.wikipedia.org

7月上旬、西日本を中心に広範囲・長期間に及んだこの豪雨は全国各地に甚大な被害をもたらしたが、鉄路も例外ではなかった。そう、山陽本線の寸断である。言うまでもなく山陽・東海道は日本の物流を支える随一の主要幹線であり、この運休は西日本の物資輸送に重大なピンチとなると共に僕らの日本縦断が実質的に不可能となることを意味した。広島県内での土砂災害によって生じたこの運休が解消されるのは9月も暮れのことであり、僕らはあえなく縦断を断念する。

それでは「1年繰り越して2019年の夏」とはいえば、そうはならなかった。結局僕らは現役高校1年生。高2の夏ともなれば受験を意識し、およそ一週間も休みを取って旅をするような余裕は無くなる____こうした焦りが如実にあったのは確かだし、むしろそうした「今しか無い」という感覚にときめいている節もあった。より分かりやすく言えば、「自分がいまやれるだけのバカがやりたかった」のである。じゃけん真冬に決行致しましょうね____________バカか?

ここにもう一人共鳴(?)してきたのが某T氏。ネットの海に住まう人間ではないので詳細は伏すにしろ、色々な意味でかなりの強者である彼の参加は単に人数が増えて賑やかになった以上の意味を持つとともに、僕と同じく旅行経験の薄い彼の存在はある種の親近感を覚えさせた。かくして役者(??)は揃う。

 

 

こうして真冬の青春18きっぷ日本縦断を企てた僕、かずきくん、T氏の三人は、その無謀な計画をいざ実行せんと終業式を終えたその日に鹿児島へ飛び立ったのであった_________

 

 

 

 

12/22 日本縦断1日目

西大山→下関

西大山駅。鹿児島県は指宿市に位置するこの駅は、JR九州指宿枕崎線の駅の一つであり、日本各地にあるローカル線の何の変哲もない一無人駅に過ぎない____ここがJR最南端駅であることを除いては。

www.jrkyushu.co.jp

 

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うーん。来てしまった。ここが旅の出発点。我々はこれから5泊6日、全国津々浦々JRのいくつもの路線を乗り継ぎ、一路JR最北端駅たる稚内駅を目指す。「JR最南端の駅」の文字のしっかりと刻まれた看板がまだ闇に包まれる指宿の朝露に濡れるこの光景は、僕の雑念を吹き飛ばすのに十分だった_____

 この前日のツイート。舐め腐ってますねこいつ。同行者2人が翌日からのメインイベントに備えバス車内でも確実に睡眠を取って英気を養っているのに対してお前はなんだ。何が桜島だ。飛行機とバス遅延のコンボを食らって鹿児島市内観光をやむなく断念した中でも指宿名物砂蒸し温泉などかなり楽しんでおいて、それでもまだこういう発言を残すんだから大したものである。

 向かうんですよ。向かったんですよ。

 

この日に取った宿のご主人がそれはそれは素晴らしい方で、日本縦断のために早朝に西大山駅へ出発すると話したところなんと車で送って下さった。朝4時ですよ朝4時。おまけに列車が来るまで僕らの写真撮影に付き合ってくださる始末。悪い気はしながらもいい機会なので駅周辺の写真やらをパシャパシャ撮りまくる。

 

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パシャリ。まあ田舎の無人駅だし予想はしていたが想像以上に何もない。月。夜闇。雲。海風。潮の匂い。開聞のシルエット。記念の柱(?)。静まり返った夜の雰囲気に風情が交じり合って今思えばそれはなかなかエモーショナルな光景だったと思うのだけど、高揚感に支配されていたその時の僕らに雄大な景色を眺め感傷に浸っている余地はなかった。まあ最南端を引けばただの無人駅だ。季節が季節なら駅周辺の菜の花が綺麗らしいのだが今は冬。というかそれ以前に夜だ。僕らは撮影に興じる。

 

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パシャリ。右手に持つのはよ~~く見るとぶっきーです。分かるか。次。

 

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パシャリ。なんとか西大山とぶっきーを判る形で収めようと苦心していたら宿のご主人がスマホのライトで照らして下さる。目の焦点がずれちゃったけど僕としては満足、本当にありがとうございます。かわいいね、好きなキャラクターなの?と訊かれたので推しです、と答える。横から同行者2人が嫁です、と茶化す。やめろ。次。

 

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パシャリ。こういう案内が駅構内にされていて気が遠くなる。稚内マジで遠いな……????未だに自分が5泊6日を費やしろくでもない行程に出ようとしている実感が湧かない。そんなしれっと「最北端の駅」とか書かないで戴けません???最南端から最北端を目指す旅行者への配慮が足りていない。なんか恐ろしく楽そうにすら見えるじゃねえか…案外鹿児島県内観光するのとそんなに変わらないんじゃないの?このまま枕崎行くのもいいし、あるいは結局断念した鹿児島市内とか、桜島……やめ!!!!!!!!!この話は終わり!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

 

ところで、僕がこの旅でしようとしていることがもう一つあった。

駅メモである。

 ekimemo.com

簡単に言えば、駅の座標を利用した女の子系位置情報ゲーム。今でこそ僕の生活の一部となりかかっているこのゲームですが、この当時はまだ始めたてでイロハも何も分からない状態。どうせ嫌でも大量の駅に寄るんだし…と旅のためにひそかに用意(?)していたのであった。

 

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さっそく西大山にアクセス。初期でんこのみろくチャンが初々しいスクショ。こうしてステーションメモリーを集めたり集めなかったりしつつ、僕らは北上していくことになる。

 

5時58分。指宿枕崎線鹿児島中央方面への始発がホームに滑り込んでくる。

 

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お世話になった宿のご主人にお礼とお別れを言い、列車に乗り込む。走り出す。何のことはないいつもの早朝の風景だろうけど、これから稚内に向かおうとする我々にとっては極めて重要な儀式だった。ついに、始まったのだ。これから5泊6日、僕らは幾度となく列車を乗り継ぎ、稚内を目指すだろう、勿論その中には単線ローカル線があれば複線の幹線がある、1両から15両編成まで、雨の中から雪の中まで_______だが、この鹿児島の単線を走るたった2両の気動車が、文字通り最初の列車が、たった今出発駅を離れた、僕らはその意義について、誰よりも深く理解し感動していた。ともかくも、始まったのだ。そしてそれは同時に、僕らがこの旅で遭遇する幾つものアクシデントの幕開けをも意味していた______。

 

 僕らの乗った列車は2駅先の山川という駅で折り返して枕崎に戻ってしまうため、山川で接続する鹿児島中央行きに乗り換える。

 

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山川を定刻通りに発車し順調に鹿児島中央まで至るかと思われたこの列車が突然定刻を大幅にオーバーして停車を始めたのは、山川からさらに2駅先の二月田という駅でのことだった。

始めは悠長に構えていた我々も、手元の時刻表を見るにもうすぐ15分遅れを超えることが分かってくると段々心配になってくる。窓の外を見れば濃霧。嫌な予感がしてくる。

 

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線路が見えない。やきもきする我々のもとに車内案内が入る。「当車両は列車不具合のためもうしばらく当駅で…」マジかよ。

結局列車の再度動き始めたのは7時前。定刻より30分以上遅れての運転再開だった。

 

初手の初手から大幅な遅延に見舞われる不運っぷりを冒頭で発揮することになったとはいえ、僕らがこれを行程へのダメージの面で深刻に捉えていたかといえば決してそんなことは無く、この時点ではむしろ騒ぎつつ楽しんですらいた。なぜか。

この辺の説明の為に、ここで一日目の行程におけるデッドラインの話をしようと思います。

 

まず、一日目の僕らの目的地は下関。つまり丸一日かけて九州を縦断し、関門海峡を渡ってひとまずゴールとなる。その為にすべきなのは「なるべく早く鹿児島本線に乗る」こと。九州の一大幹線たるこれに乗車できればあとは適当に乗り継いで下関まで至れる。

では鹿児島中央からひたすら鹿児島本線に乗り北上すれば良いのかと言えば、ここにトラップが待ち構えている。「肥薩おれんじ鉄道」の存在である。もう分かるでしょ、日本各地に散在する第三セクターの一つであるコイツは当然の如く18きっぷ適用外。こんなものがもと鹿児島本線だった川内~八代に陣取っている以上、僕らはどれだけ遠回りだろうと別ルートを選択することを強いられ、八代以北でようやく鹿児島本線への合流を許される。何がおれんじだ、お前らがそこに存在していなきゃ僕らは余裕でもっと遠くまで行けたんだぞ、などと悪態をついたところで結果は同じ。18きっぱーに人権は無いのだ。

幸いなことに鹿児島県内の隼人駅から霧島をかすめて八代に注いでくれる路線が存在する。JR肥薩線である。つまり鹿児島中央からまずは日豊本線で隼人を目指し、そして肥薩線で八代までたどり着くのが最適解となる。

が、ここにも地方ローカル線の現実が存在する。本数が少ないのだ。特にその多くが観光列車化された途中の人吉~吉松間は非情だ。18きっぷでは乗れない特急を除くと一日3本しかない。こうなるとむしろ簡単、駅に早く着いたところで意味がないというお話になってくる。具体的に、隼人駅到着のデッドラインは10時35分。鹿児島中央に着くのが遅れ込みで8時前。鹿児島中央から日豊本線で隼人まで40分弱、本数も2~3本/h確保されている。要するに全くの余裕なのである。あとは余った時間、駅周辺でも観光していればよろしい。地方路線の接続の悪さは、我々に精神的余裕を与えてくれたのだった。

 

実際このときも「鹿児島市内ちょっと巡ろうかと思ってたけどさすがに時間的に厳しいかもね~」と悠長に会話していた覚えがある。アレに遭うまでは______

 

 

 

だいたい朝7時くらいだったと思う。何気なく開いたYahoo!乗換案内が、目を疑う文字列を示していた。

「05:53頃、鹿児島中央駅で発生した停電の影響で、隼人~鹿児島中央駅間の運転を見合わせています。」

 

 

 

ha?

 

 

 

 

は???????????? 一瞬にして意味が分からなくなった。車内放送ではそんなことは一切聞いていない。いや待て乗換案内が旧情報を表示しっぱなしの可能性もある。慌ててアプリを起動し直し同じページを開く。別の情報サイトで検索をかける。全員のスマートフォンで同じ所作を繰り返す。結果は同じだった。

 

隼人に辿り着けない。

 

状況を呑みこむと共にやってきたのは焦りだった。先述の通り、吉松~人吉間は一日3本しか用意されていない。吉松を11時49分に出る目当ての列車に乗れなければ、新幹線等に課金しない限りその日じゅうでの下関入りは不可能になる。その為には10時35分までに隼人に到着しなければならない。そしてその見込みは、全くもって不明といってよかった。

 

今だし正直に言います。完全に、油断していた。

冒頭で書いた通り北日本の無事な通過が終盤にして最も鬼門であることは僕らも重々承知していて、後半についてはもしどこかで運休なり何なりが発生してもある程度対応できるよう余裕を持って行程を組んでいた(とはいえ北海道ではどうにもならない箇所のが多かったけども…)。つまり何が言いたいかって、九州なんて何も気にしていなかった。折しも鹿児島なんて初手も初手、まだ旅の始まりの高揚感に浮かれている地点である。そしてついさっきまで列車不調による遅れの増大にやきもきしていた我々にとって、ようやく一息つき余裕の生まれたところを見事に直撃してきた、お手本のような晴天の霹靂だった。

 

 本当に新幹線を使うしかないのか……?まあ他に手段が無いわけではない。そう、「肥薩おれんじ鉄道」である。前述した通り勿論コイツは第三セクターなので別料金…だが、優先すべきは下関に辿り着くこと。予定したルートが危うい以上背に腹は代えられない。使うしかないのでは…との考えが3人の頭をよぎる。それに第三セクター化されたとはいえ元々は鹿児島本線だった区間だ。先程は悪態をついて申し訳ない、やはり貴方はオレンジだなどと媚の一つでも売れば仕方ない、特別だぞなどと言って18きっぷで通してくれちゃったり…しませんよね……だめ………??あと駅メモの路線コンプができる

 という訳でもう一度運行状況を見る。

 

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川内にすら着けねえじゃん。クソクソ。やっぱお前おれんじじゃねえわ。

 

依然として状況に変化なし。僕らを乗せたディーゼル車はガタゴトと単線を絶望の待つ鹿児島中央へと運んでくれる。のんびりしたものである。鹿児島本線日豊本線も非電化路線なら良かったのにな、とかとりとめのない考えが頭をよぎる。そうであれば停電で運転見合わせなんて起きなかったのに…これが現代社会における高度に発達したインフラの功罪の形か。まあ本当にそうなら1日で下関とか破綻待ったなしな気もするけど。 

いずれにせよ出来ることは0だった。このまま行けば鹿児島中央でデッドラインまでただひたすら「待つ」以外の選択肢はない。それまでに復旧すれば勝利、しなければ新幹線なり何なりご自由に。笑えるくらい単純な話だ。何事もないかのように順調に線路を進むその車内で厳しい面持ちをして時刻表とにらめっこする僕らを、錦江湾の朝日が照らす。これがまた美しいのである。

 

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写真だとなかなか伝わらないのが少し残念。まあ要するに一面のオーシャンビューなわけです。先程の朝靄はまだ残り海と空の境界線をぼかす、うっすらと見える大隅半島に低く雲がかかる、そこに淡く、しかし厳かに一筋の光明が差す。素晴らしい路線ですよホント_____行程半壊中でなければ。いいですか皆さん、どれだけ絶望的な状況でも人間は美しいものを見れば心が動くんです、ただしそれは怒りとセットですけども______

 

 

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絶望的状況下でもちゃんと撮影されるぶっきー

 

事態の進展を見ないまま列車は市内へ突入する。地元の通勤通学の方々もだいぶ増える。車内放送が入る。「日豊本線鹿児島本線は、鹿児島中央で発生した停電の影響で……」まだ止まったまま。とにかく鹿児島中央で情報収集をし、ひたすら待つしかない。緊張の面持ちの高校生三人組を乗せ、ほぼ丁度朝8時、列車は鹿児島中央駅のホームへ滑り込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

で、まあ結論から言います。 復旧してました。

 

 

 今だから何とでも言えますが、ついさっき運転再開したことを知らせる案内放送を耳にした列車から降りた直後の我々の気持ちといったらなかった。「全身の力が抜けていく」感覚を味わったのはおそらく中学受験以来ではなかろうか。ありがとう、マジでありがとうJR九州。いくら感謝してもしきれない。「隼人に着ける、下関に着ける」この事実だけで当時の僕らの喜びは想像に難くないと思われる。頑張ってくれたJRに最大級の賛辞を贈りたい気持ちは山々ですが歯止めが利かなそうなのでこの辺にしときます。

 

とはいえ情報も何も無いのでとにかく一旦改札外へ出る。(当たり前ながら)流石に大きい駅だけあって非常に賑わっている…というか混乱している。改札の脇に設置されたホワイトボードに情報が記されている。

 

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間違いなくちゃんと復旧してる。よかった。8:00運転再開なので本当についさっきらしく、待機する人々でごった返す改札の真ん前で駅員さんたちが総出で慌ただしく運行状況を叫んだり質問に答えたりしている。お疲れ様ですと声の一つもかけたくなるが我々もそれどころではなく、とにかく隼人までの到着見込みを聞きに行く。「ダイヤが全く当てにならない状況なのではっきりとは言えないですが、次に来た電車に乗ればまず間に合うと思います」ありがとう_____________!!!!!

 

さて、次の電車の入線までちょっと時間が出来てしまった。復旧したとはいえ時間が読めない状況下で駅外に出るような余裕も精神力も無いので改札前で何となく時間を潰そうと思案していた矢先、かずきくんがショップでこんなものを見つけてくる。薩摩名物「かるかん」である。

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ja.wikipedia.org

ご丁寧に一個ずつ販売されているわショップの真ん前にベンチは置いてあるわ気さくなおばちゃんは控えているわで「買って今ここで食べろ」と言わんばかりである。買ってその時その場で食べる。

うまい。こういう時の甘いものはずるい。ここまでのトラブルで消耗した体力と精神力が回復するのをはっきりと感じる。思えば朝から殆ど何も口にしていなかったのでなおさらである。「たぎょうは HPが 〇〇かいふくした!」ってやろうかと思ったが流石にやめた。人生に必要なのはグルコースですよほんと。

ショップの気さくなおばちゃんはこれを見逃さない。「あんたらどっから来たの、どこいくの?」と話しかけてくれる。かずきくんが「東京からです、今日は下関まで」「最終的にはどこまで行くの?」稚内まで」

「えっ…??____?稚内?北海道の?」おばちゃんが一瞬、驚きとも呆れともつかない声をあげる。感想とかどうこうの前に「すみません、よくわかりません」の声だこれは。まあ同じ国とは言えど鹿児島に住んでて稚内を理解しろって方が無理だと思います。僕らも理解してないけど。

 

そろそろ電車の入線まで待とうかと改札に出ると、どこかのテレビ局(どうやらKKBらしい)が運転見合わせについて取材をしている。そしてお約束のようにかずきくんがこれに捕まる。運転見合わせ大変でしたね、いやぁそうですね、僕らも大分焦ってたので心配でしたけど復旧してよかったです、どちらから?ああ東京からです、それはまたご旅行で?お決まりの受け答えの延長線に先程と同様の爆弾が投下される。「どちらまで行かれるんです?」稚内です」

「あっ……?____??」やはり鹿児島という土地において「稚内」はそもそも認識外の名詞のようで、これインタビューするグループ間違ったかな…と言わんばかりのカメラさんの顔がやたらと印象にある。その感想多分正しいです、と意気揚々と質問に答えるかずきくんを見ながら思っていた。

 

 

 

 

隼人に、着きました。

 

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結局日豊本線に乗ったのが8:50頃。隼人に9:30頃に着いたと思う。

思う、というのはダイヤが乱れに乱れていて、今となっては正確な時刻を時刻表から判断できないため。当時の僕らにその時の時刻を記録しておくような頭はなかった。疲れていたのである。

 

 

 疲れていた+乗る列車まで時間があった+近くにスーパーがあった

=バカをやった

 

 うん。いい感じに狂ってきた。最初の方に書いたけど本来こういう意味のないバカを人に迷惑をかけない範疇でガンガンやってこうみたいな趣旨があった(?)のでようやく軌道に乗ってきた感じがある。鉄道だけに。うまい。

 

…ところで丁度出てきたので書いてしまうと、「しんぺい2号」とは吉松から人吉を結ぶ観光列車であり、同時に僕らが八代に、そして下関に辿り着くのにどうしても必要な列車です。ちなみに吉松から人吉への1日3本というのは、朝一の鈍行、15時台のしんぺい4号、そしてこのしんぺい2号。朝一はどうやったって無理だししんぺい4号では遅すぎてその日のうちに下関に辿り着けない。という訳でしんぺい2号は僕らが西大山から下関に1日で辿り着くための唯一の手段となる。十分に魔境じゃねえか。何を油断し切ってたんだ朝の自分。

 

定刻通りにやってきた鈍行に乗ってまずは吉松駅に向かう。

 いつ撮ったのお前。

 

 

 

 

 

 

 

 

実はここめっちゃくちゃキリが良い(!)のでこの辺で。つづきます…つづくかも?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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これ書いてる最中にぶっきーの三越グラ来たんですよ。もうね…泣いたよ、かわいいんですこの子は…

日本縦断をしました - ごあいさつ

 

 

 

 

 

 

はじめまして。たぎょうです。

 

 

 先日、日本縦断という行為にチャレンジしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いきなり何を、と思われるかもしれないがこういうのは説明してしまった方が早い。僕ら男子高校生三人組は、去年の暮れ12月22日に鹿児島の潮風香る早朝の無人駅を発ち、

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12月27日の夕刻に北海道の吹雪吹きすさぶ北の最果て駅へと辿り着いた。

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そう、鉄路での日本縦断である。

 

 

なるほどね。良いじゃないですか。僕らがこの世に生を受け過ごしてきた時間、僅か16年。この国の何たるかを知るにはあまりにも短い。動乱の21世紀にその命を授かってから背後を顧みることもなくただ突っ走ってきた我々だったが、ここで一度立ち止まり、我々とその祖先を育んできたこの小さな島国の姿を、ゆっくりと巡って眺めるのも一興ではないか。ゆっくりと。そう…………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ゆ   っ   く   り   と   。

 

 

もう説明しなくてもいいでしょ。「青春18きっぷ」である。ただの神奈川の男子高校生に優雅に日本を周遊する財力などある訳がない。よってこの旅行には特急もなければ高級旅館もない。ただ鈍行を乗り継ぎ日本の最果てから最果てを目指すのみ。以上!

 

 

 

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 ちなみにこの子はぶっきーこと艦これの吹雪クンです。恐らくこの後度々登場します……というかこんなむさい男子高校生の夢も希望もないクソ旅行なんか忘れていいからこの子の顔と名前を覚えてから帰ってくれ。以上。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…以上!とか言って突き放してしまったけれど概要は理解して貰えたと思います。つまりこのブログの趣旨は限界旅行記であり、「ツイのオタクが愉快な仲間たちと真冬の列島を青春18きっぷで走り抜け最南端から最北端まで辿り着くまでの珍道中をインターネットの海に投げつけて閲覧数ガッポガッポ稼ごうぜ!w」である。うん、いい感じにクソの極みだ。

 

 

とはいえこの旅自体、前述の日付の通りもう二か月近く前のことになる。思い返せば旅の途中からTwitterその他で「早く旅紀行をブログ化しろ」と何度も催促というか脅迫(?)を受けていたらしい。旅の高揚感に加え予期せぬアクシデントの数々に良くも悪くも興奮しきっていた我が身が、その度にほとんど二つ返事で「おう書いてやるよ」と返していたのを思い出す。

 

 

で、まあ結論から言って(今の今まで)書かれることはなかった。まあ当然といえば当然で、冬休みのまるまる半分を費やし旅行というある種浮世離れな束の間の夢のひとときを過ごした現役男子高校生に降りかかるのは当たり前ながら「課題やってねえ」という現実である。このように自明な内容をわざわざ書き連ねるのも馬鹿馬鹿しいが、学生の本分は学業である。僅かな休暇にあろうとも行楽に現を抜かし翌学期の勉学に支障を来すなど以ての外の有様であり、よって須らくレポートの進捗に遅れをみているのならそれを取り戻すべく執筆に邁進すべきであるのだ。それを旅行記の取り纏めに手を出すなど言語道断、悪逆非道の人間のなすことである。

僕らがこの旅から帰還をみた直後の年末29~31日にとあるイベントの開催されたことも忘れてはならない。そう、真冬の祭典「コミックマーケット95」である。有明の無機的な大ホールに3日間のべ50万を超すオタクの鮨詰めになるこの狂気の渦中に長旅で身も心も疲労し切ったはずの僕が身を投じた理由は単純で、推しの同人を手に入れたかったからだ。このように周知の内容をわざわざ言い立てるのも欠伸が出そうになるが、オタクの本分はオタクである。僅かな休暇にあろうとも行楽に現を抜かし推しキャラを眺むるに支障を来すなど以ての外の有様であり、よって須らく目の前の西1ホールにしばふ駆逐島をみているのならそれを漁るべく待機列に整列すべきであるのだ。それを旅行記の取り纏めに手を出すなど言語道断、悪逆非道の人間のなすことである。レポートですか?なんとか来週末には出せそうです…。

 

つまるところ立て込んでいた諸々が一月も終わり、二月ももうすぐ半分という段になってようやく片付いてきたのがこのブログを長々と書き始めた経緯だということである。丁度良いところに受験休み期間も舞い込み一息ついたところで、ずっと140文字に乗せてリアルタイムで供給することしかしていなかった旅の機微を、文章化してどこかに書き留めておくという話をはたと思い出したのだった。

 

 

うーーーんなんと消極的な。ブログってもっと積極的で前向きなアウトプットを求める人間のための媒体じゃないんですか。周囲の人間が一人、また一人とはてなブログやらnoteやらを開設しているのを思い出す。彼らは小説を書いたり読書記録を投稿したり、はたまた性癖を語りだしたり音ゲー産業の未来について論じたり(?)しているわけだけど、少なくとも彼らには自らの思考をただ垂れ流すのではなく「文字制限」のない自由な発信媒体で論理的構成を以て発信せんとする自発的意思があり、それを可能にする豊かな発想と語彙がある。「140文字」に囚われている身としては既にこの時点で超えがたい壁を意識してしまう。緩やかなコミュニケーションの内に全てをコンテンツとして消費することに慣れきってしまった人間はここまで生成してきた駄文をもう一度眺めて嘆息のなかに肩を落とすしかない。要するにとってもみじめなのである。

こういう偏見に満ちた話は良くないと分かっていながらしてしまうのだが、つくづく「140文字」は「感情」の道具だなと思う。つぶやきという言葉の名の示す通り、なるほどかのツールのその文字制限に裏打ちされた手軽さは独り言を発するよりも容易いものかも知れない。だが「140」という数の真の絶妙さはむしろ、単純な論理構成(二元論など)による短い論理的文章の組み立てを不可能にしない点だと勝手に考えていたりする。もちろんこの特性を活かし常に創造的な議論を重ねている立派な方々も沢山いらっしゃるし本当に素晴らしいと感じ入るところなのだが、定型化された単純な論理構成と手軽さの組み合わせは単なる感情的主張が「それっぽく」見えてしまう危険性を孕んでいるのではないか。こうした表現に毒された人間は感情の垂れ流しが日常化しており、感じたことをある程度の期間自身の内に溜めおき長い論理構成に乗せてアウトプットする段階が欠如しているため、いざ長文を書かせるとボロボロで無味乾燥だったりするのだと思う。それは或いは、このブログのように。

 

 

新ブログの門出とクソ旅行記の発進を祝いテープカットとするつもりが何をどう間違えたか自身の傷口にハサミをぶっ刺す結果となってしまった。というか最後はただの自虐と偏見である。

 

言うまでもなく旅行中のTwitterなんて感情の垂れ流しの極致みたいなものですがこれは逆にチャンスでもあり、二か月前の自分が何を見て何を感じていたのか、当時の感情をツイートを手掛かりに探り当て再構成するプロセスは相当に楽しいのではないかと思っている節がある。なんせ相手は自分。旅を終えてから一週間でその記録を編纂するのとでは確かに記憶の純度こそ差があるだろうが、その代わり確実に熟成されているはず(捏造も多分にありそうだけど…)。

つまりは旅の自分との二人三脚ブログ。僕には今自らが感じていることを具体化された論理構成に乗せて豊かな語彙とユーモアの彩りの中で送り届けられるような才覚もなければそういった努力もしてこなかった所謂ダメな人間だが、過去の自分の記憶にサポートされてならもしかしたらその真似事くらいは出来るのかもしれない…そんな淡い期待感の中でこの文章を書いている。などと言っておいて旅の話も自己紹介もほとんど済んでいないけど。

 

 

 

 

 

まあ、という訳でこれから何回かに分けて青春18きっぷ日本縦断の旅の旅行記を綴っていこうと思う。ただでさえ5泊6日鈍行乗りっぱなし限界行程に加えて相次ぐアクシデントに見舞われながら、それでも最果ての地稚内へと辿り着き、そして無事に帰ってきた(重要)我々のろくでもないクソ旅行記を、楽しんで見て頂けると幸いです。

 

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最後に、僕にブログ執筆を勧めてくれた各位に感謝の意を表したい。またインターネットの海に黒歴史が一つ増えた。